2008年 04月 08日
ある家族の記録 |
友人が一枚のDVDを貸してくれました。
それは、友人の旦那様の家族の記録。 旦那様の兄弟の一人が、お父様の残されたファミリービデオを編集して、さらに新しく自分の画像も加えて編集し、映画にしたものです。
50~60年前くらいのスペインの様子がわかって面白いと思ったのでご紹介いたします。
これらの写真は、そのDVDを再生しながら画面を撮ったものなので、すべての画像の権利は編集者であるホセさんにあります。
お父様は、1940年に、スペインのカタルニァ地方とアラゴン地方の真ん中あたりに広大な土地を買い取り、大規模な農業を始めて大成功しました。そこで働く人たちは数百人もいたそうで、その人たちの住む町を作り、とうとう飛行場まで作ったのです。
娘の一人、Anaは、飛行機を操縦するのが好きでしたが、あるとき飛行機事故で亡くなりました。みんなは、本望だったろう、といいました。
景気の良い時代が過ぎ、あるときから経営不振に陥り、事業は破綻し、借金が溜まって、とうとう一家は無一文になってしまったのでした・・・
そんな、最後は悲しい終わりなのですが、お父様がアメリカに行って買ってきた8ミリ映写機で撮られたたくさんのイベントの記録が残されています。
バックに流れているピアノは、お母様の弾くピアノなのだそうです・・・
サン・エステバン、お母様の故郷
生まれた家
お母様の兄弟はみんなスポーツがお好き
サン・エステバンでは毎日曜日、楽団が音楽を演奏し、みんなが踊りました。そこで、軍で駐屯していたお父様と知り合ったそうです。
お父様とお母様の結婚当時
何もない土地を切り開き町が作られた
そこではたくさんの人が働いていました
一家が住んでいた家
時々盛大なディナーパーティが催されました
人々は楽しく踊り
みんな幸せでした
子供たちはたくさんでした。
町に飛行場を造り、家族は飛行機でよく旅行しました
これが町のシンボルマークでした。
教会の壁には、家族の姿が描かれています
子供たちの一人Anaは、スペインで最年少のアクロバット飛行士となりましたが、飛行機事故で亡くなりました。
「怖くないですか?」
「ぜんぜん」
Anaの亡くなった後も、飛行機で飛び回ることは続いていました。
事業が破綻した後、今は何もないところに管制塔だけが残されているのです。
知らない人は尋ねます。
「何でこんなに何もないところに管制塔があるんだ?」
糸杉の多いこの土地は、夕方になると霧が立ち込めます。
いまは何もなかったように静まり返って、霧の中に浮かび上がった管制塔が印象的でした。
↓クリックしていただけると励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。
それは、友人の旦那様の家族の記録。 旦那様の兄弟の一人が、お父様の残されたファミリービデオを編集して、さらに新しく自分の画像も加えて編集し、映画にしたものです。
50~60年前くらいのスペインの様子がわかって面白いと思ったのでご紹介いたします。
これらの写真は、そのDVDを再生しながら画面を撮ったものなので、すべての画像の権利は編集者であるホセさんにあります。
お父様は、1940年に、スペインのカタルニァ地方とアラゴン地方の真ん中あたりに広大な土地を買い取り、大規模な農業を始めて大成功しました。そこで働く人たちは数百人もいたそうで、その人たちの住む町を作り、とうとう飛行場まで作ったのです。
娘の一人、Anaは、飛行機を操縦するのが好きでしたが、あるとき飛行機事故で亡くなりました。みんなは、本望だったろう、といいました。
景気の良い時代が過ぎ、あるときから経営不振に陥り、事業は破綻し、借金が溜まって、とうとう一家は無一文になってしまったのでした・・・
そんな、最後は悲しい終わりなのですが、お父様がアメリカに行って買ってきた8ミリ映写機で撮られたたくさんのイベントの記録が残されています。
バックに流れているピアノは、お母様の弾くピアノなのだそうです・・・
サン・エステバン、お母様の故郷
生まれた家
お母様の兄弟はみんなスポーツがお好き
サン・エステバンでは毎日曜日、楽団が音楽を演奏し、みんなが踊りました。そこで、軍で駐屯していたお父様と知り合ったそうです。
お父様とお母様の結婚当時
何もない土地を切り開き町が作られた
そこではたくさんの人が働いていました
一家が住んでいた家
時々盛大なディナーパーティが催されました
人々は楽しく踊り
みんな幸せでした
子供たちはたくさんでした。
町に飛行場を造り、家族は飛行機でよく旅行しました
これが町のシンボルマークでした。
教会の壁には、家族の姿が描かれています
子供たちの一人Anaは、スペインで最年少のアクロバット飛行士となりましたが、飛行機事故で亡くなりました。
「怖くないですか?」
「ぜんぜん」
Anaの亡くなった後も、飛行機で飛び回ることは続いていました。
事業が破綻した後、今は何もないところに管制塔だけが残されているのです。
知らない人は尋ねます。
「何でこんなに何もないところに管制塔があるんだ?」
糸杉の多いこの土地は、夕方になると霧が立ち込めます。
いまは何もなかったように静まり返って、霧の中に浮かび上がった管制塔が印象的でした。
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by gyuopera
| 2008-04-08 21:04
| 日々のこと cotidiana
|
Comments(12)
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miki3998 at 2008-04-08 21:03
なんか 言葉が出なくなりました。
ずっとスクロールする時の ワクワク感 、糸杉の映像 、家族の肖像画も すべて 事実だったのですから 。
ずっとスクロールする時の ワクワク感 、糸杉の映像 、家族の肖像画も すべて 事実だったのですから 。
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tripper_01 at 2008-04-08 21:21
ぉぉお、物凄く昔の映像に見えますが意外に”身近(に近い)”な時代なんですね!
比較する気なんて毛頭ありませんが、小学校の頃に8mm映写カメラ使ってたイヤなガキでした。
フィルムは何処かに残っているハズですが映写機は誰かに貸したきり行方不明。
なんか急に見たくなって来ました!
比較する気なんて毛頭ありませんが、小学校の頃に8mm映写カメラ使ってたイヤなガキでした。
フィルムは何処かに残っているハズですが映写機は誰かに貸したきり行方不明。
なんか急に見たくなって来ました!
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gionbayashi at 2008-04-08 22:37
事業というのは難しいんですね。 成功しても景気の波とか・・・穀物相場とか。 本人の努力の外の要因で破綻など? 運・不運? うーん。
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DADA
at 2008-04-08 22:53
x
お写真から皆さんの わいわいと賑やかな笑い声が聞こえます。そして静かな杉林。歴史を感じます。。事業が失敗したとしても きっと今の時代よりは皆がキラキラ輝いていた時代だったのだろう・・と
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alex
at 2008-04-08 23:07
x
こういうお話が自分と関係ないものでも、しみじみと懐かしささえ覚えるのは、年頃のせいでしょうか。家族の歴史というのは大事なものだなあと思いました。
事業の破綻という残念な状況があったとしても、こうしてお父様の資料を受け継いでいる息子さん達がいらっしゃるのですから、きっと目に見えないものも受け継いでいらっしゃるのだろうと思いながら拝見しました。
最後の3枚は本当に映画のようです。
事業の破綻という残念な状況があったとしても、こうしてお父様の資料を受け継いでいる息子さん達がいらっしゃるのですから、きっと目に見えないものも受け継いでいらっしゃるのだろうと思いながら拝見しました。
最後の3枚は本当に映画のようです。
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yasasin at 2008-04-08 23:58
なんとも言えない気持ちになりますねぇ、、、繁栄と衰退とでも申しましょうか。
しかし、その当時のお金持ちってのは半端じゃないくらいお金持ちなんでしょうね、豪邸の規模からして察することができますね。
実際の動く映像もぜひ観てみたいと思いました(憧)
しかし、その当時のお金持ちってのは半端じゃないくらいお金持ちなんでしょうね、豪邸の規模からして察することができますね。
実際の動く映像もぜひ観てみたいと思いました(憧)
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gyuopera at 2008-04-09 03:53
♪ mikiさん、こんばんは。いつもコメントどうもありがとうございます。
まるで映画のようですが、実際のお話なのですよね。これを見て、感無量でした。このお母様は現在90歳を過ぎてもなおとてもお元気なのです。お父様は、60歳くらいで亡くなられました。
まるで映画のようですが、実際のお話なのですよね。これを見て、感無量でした。このお母様は現在90歳を過ぎてもなおとてもお元気なのです。お父様は、60歳くらいで亡くなられました。
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gyuopera at 2008-04-09 03:56
♪ tripperさん、こんばんは。画像もDVDを再生するテレビの画面を撮ったものですから、かなりぼやけていて申し訳ございません。ずいぶん古く見えるけれど、私の両親くらいの年代ですからね。それにしても、この世の中の変わりよう!
tripperさんは小さいころからカメラや8ミリに興味がおありだったのですね!
tripperさんは小さいころからカメラや8ミリに興味がおありだったのですね!
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gyuopera at 2008-04-09 04:00
♪ gionbayashiさん、こんばんは。コメントどうもありがとうございます。
本当に農業と言うのも大変なのでしょうね。不作でも、雇っている農民たちにはお給料を払わなくてはならないし、それで借金が膨らんで、とうとう・・・と言うことらしいです。運が大きく作用したのでしょうね。
本当に農業と言うのも大変なのでしょうね。不作でも、雇っている農民たちにはお給料を払わなくてはならないし、それで借金が膨らんで、とうとう・・・と言うことらしいです。運が大きく作用したのでしょうね。
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gyuopera at 2008-04-09 04:02
♪ DADAさんこんばんは。いつもコメントありがとうございます。
昔は今のようにいろいろな娯楽が無かったから、こんなみんなの集まるパーティでは本当に楽しんだのでしょうね。 でも、子供たちはこういうパーティーには参加させてもらえなかったようです。お子さんは12人もいらして、そのうち4人が亡くなっています。
昔は今のようにいろいろな娯楽が無かったから、こんなみんなの集まるパーティでは本当に楽しんだのでしょうね。 でも、子供たちはこういうパーティーには参加させてもらえなかったようです。お子さんは12人もいらして、そのうち4人が亡くなっています。
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gyuopera at 2008-04-09 04:06
♪ alexさん、こんばんは。いつもいつもコメント本当にどうもありがとうございます。私のほうはなかなかいけなくてごめんなさいね。
ヨーロッパの人は、家族の歴史をとても大切にするようですね。息子がイギリスの大学に行っていたとき、やっぱり学友たちの家族の歴史を聞いて、我が家の祖先の写真は無いか、とかずいぶん聞きたがりました。それで、日本に帰ったとき、母の若い頃からのアルバムをもらってきました。いずれ全部スキャンして、CDか何かに保管して残してゆきたいと思います。
ヨーロッパの人は、家族の歴史をとても大切にするようですね。息子がイギリスの大学に行っていたとき、やっぱり学友たちの家族の歴史を聞いて、我が家の祖先の写真は無いか、とかずいぶん聞きたがりました。それで、日本に帰ったとき、母の若い頃からのアルバムをもらってきました。いずれ全部スキャンして、CDか何かに保管して残してゆきたいと思います。
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gyuopera at 2008-04-09 04:11
♪ yasasinさん、こんばんは。いつもコメントありがとうございます。
本当に昔のお金持ちは(今もそういう人いるかも)桁違いな感じがしますね。町を作ってしまうんですものね。招待客の数も半端じゃないですし・・・お母様は12人ものお子様を生みましtが、後は全部乳母が育てたのだそうです。家はホテルになりそうな大きさですね。ぜんぜん世界が違うんですね。
映画はとてもうまく編集されていて、素敵でしたよ。結構な長さでした。
本当に昔のお金持ちは(今もそういう人いるかも)桁違いな感じがしますね。町を作ってしまうんですものね。招待客の数も半端じゃないですし・・・お母様は12人ものお子様を生みましtが、後は全部乳母が育てたのだそうです。家はホテルになりそうな大きさですね。ぜんぜん世界が違うんですね。
映画はとてもうまく編集されていて、素敵でしたよ。結構な長さでした。