2014年 03月 14日
リセウ劇場の歴史 |
バルセロナが世界に誇るリセウ劇場は、過去2回の火災と、一度の爆発事件があったのです。



その時、「以前ここにあった修道院の僧の呪い」がささやかれました。
火災の翌年、新たにリセウ劇場が再建されました。
1900年のリセウ劇場
さて、リセウ劇場はもう一度火災に会います。それは1994年。

実はこの時、私はランブラス通りのリセウ劇場の前に立っていました。
翌日の新聞には、まるでカラカラ浴場のようになったリセウの写真が。


そして、新しいリセウ劇場が昔と同じ姿で、とうとう1994年、再建されました。
こけら落としはトゥーランドット。
再建されたリセウ劇場は、以前より座席の数を減らして、もっとステージが見やすくなっています。 でもね、一つ気に入らないのは天井。
これが昔のリセウ劇場の天井。素晴らしい天井画でした。 
それがこんなになっちゃった 
この赤いものは何だと思います?劇場の座席!

でもまあ、こんないい劇場があるのですから、行かない手はないですよね。
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ランブラス通りの51‐59番地、現在リセウ劇場が建っている場所は、かつてトリニタリオス修道院があったのです。この修道院は、1835年のスペイン王継承戦争の際焼かれてしまいました。

その後、バルセロナの大富豪の8人が集まり、バルセロナのブルジョワたちが集いオペラを鑑賞できる劇場を建てようということになり、修道院の跡地にリセウ劇場の建設が始まり、1847年にオープンしました。ところが、1861年に、リセウ劇場は火災に会い、焼失してしまいました。

ところが1893年、アナーキストのSantiago Salvadorが、「ウィリアム・テル」のオペラを上演中、上階から2つの爆弾を平土間に投げ、20人の死者を出しました。



フランス語のクラスの帰り、ちょうど通りかかると、中から見学していた学校の子供たちが、わらわらと外に飛び出してきました。どうしたのかしら、としばらくみていると、建物の横の窓からいきなりすごい勢いで煙が噴き出してきました。
でもそのときは、消防車も来ていませんでしたし、本当に火事になっているとは思いませんでした。でも、上を見ると、屋根の上から煙が上がっているのが見える…
その足でボケリア市場で買い物をして、
「リセウ劇場が燃えている」
といったけれど、誰も信じてくれませんでした。
家に帰ってラジオを付けると、もうそのニュースばかり。
リセウ劇場は焼けてしまったのです。ぽろぽろ涙がこぼれました。









by gyuopera
| 2014-03-14 06:41
| 建物 edificio
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