2010年 05月 17日
ペドラルベス宮の小ミュージアム Pequenyo museo en el Palau de Pedralbes |
ディアゴナル大通りの北西の端に面して建つペドラルベス宮は、1875年のクリスマスの日に火災で焼失した王宮(Plaza de Palau)の代わりとして、1919年、Guel伯が当時の王アルフォンソXIIIに献上ということで建てられたものです。完成は1926年で、献上式が行われました。

当時この土地はGuel家の所有で、この建物のもとになったのはCan Cuyasという建物で、入口は当時の様式が残されていますが、左右に翼のように棟を増設しました。
設計はEusebi Bona,のちにFrancesc de Paula Nebotが担当、また庭園はかのNicolau Maria Rubio i Tuduri(Francesc Maciaの真ん中の庭を作った造園家)が担当しました。
その庭には、いくつも噴水や泉水がありますが、そのうちの3つをCarles Buigas i Sansが担当。そしてガウディはHerculesの噴水とUmbraclo(パーゴラ)を担当しました。
市民戦争(1936-1939)が終わると、王宮は独裁者フランコの住居となりました。
1961年、王宮はバルセロナ市に移管され、ミュージアムとして一般公開されることになりました。
ゴヤ、J.M.Sertなどの大きな展覧会が行われています。1990年には、陶器博物館が入り、1995年からはMuseo de Arte Decorativaが入りました。
2009年の11月には、27カ国が参加するUpM(地中海連盟)の地中海同盟の常設事務局にバルセロナが選出され、今年の3月、そのお披露目パーティーが行われました。
とまあ、長々と書きましたが、これがこのペドラルベス宮の大まかな歴史です。

今まで何度かペドラルベス宮のご紹介をしてきましたが、ここの歴史が良くわかったのは、入口のすぐ右手にある小さな建物の中に、ここの歴史を紹介する小ミュージアムができたからです。


建物自体はぼろいけど、素敵な装飾の鏡があったり

ビロードのカーテンを付けたりして頑張ってる


ま、それはともかく、せっかくのお天気です。新緑いっぱいの庭を散歩しない手はありません。


漂ってくるいい香りは、この花、トベラ

あちらにもこちらにも小さな泉水があって、水の音が耳に優しい

そうですよね、王様がそぞろ歩きすることを頭に置いて設計されているんですものね。
今回見たかったのは、ガウディのパーゴラ。何か花が(バラとか藤とか)で覆われているかな、と思ったのですが・・・

期待は見事に外れ、全部緑の葉っぱでした

まあ、ちゃんと日よけの役は果たしているんですけどね

王宮としてはかなり貧弱なんですが、王様はマドリッドにいるんだし、そこには立派な王宮があるんですもの、仕方ないですね。

この館を献上された時、アルフォンソXIII世は、まず一番に、「お風呂を試してみたい」と言われたとか

でもこうして私たちがいつでも心地よい散歩を楽しめるのですからありがたいことです。



追記
先日のDiagonal大通りのモデルチェンジの投票の結果が出ました。
投票率は12.17%(案外低い!)、172、161人が投票し、その80%が、どちらでもない、つまりモデルチェンジ反対と投票したのです。
今朝の新聞には、"Harakiri en Diagonal"と言う見出しでこのニュースが出ました。
↓クリックしていただけると励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。

当時この土地はGuel家の所有で、この建物のもとになったのはCan Cuyasという建物で、入口は当時の様式が残されていますが、左右に翼のように棟を増設しました。
設計はEusebi Bona,のちにFrancesc de Paula Nebotが担当、また庭園はかのNicolau Maria Rubio i Tuduri(Francesc Maciaの真ん中の庭を作った造園家)が担当しました。
その庭には、いくつも噴水や泉水がありますが、そのうちの3つをCarles Buigas i Sansが担当。そしてガウディはHerculesの噴水とUmbraclo(パーゴラ)を担当しました。
市民戦争(1936-1939)が終わると、王宮は独裁者フランコの住居となりました。
1961年、王宮はバルセロナ市に移管され、ミュージアムとして一般公開されることになりました。
ゴヤ、J.M.Sertなどの大きな展覧会が行われています。1990年には、陶器博物館が入り、1995年からはMuseo de Arte Decorativaが入りました。
2009年の11月には、27カ国が参加するUpM(地中海連盟)の地中海同盟の常設事務局にバルセロナが選出され、今年の3月、そのお披露目パーティーが行われました。
とまあ、長々と書きましたが、これがこのペドラルベス宮の大まかな歴史です。

今まで何度かペドラルベス宮のご紹介をしてきましたが、ここの歴史が良くわかったのは、入口のすぐ右手にある小さな建物の中に、ここの歴史を紹介する小ミュージアムができたからです。


建物自体はぼろいけど、素敵な装飾の鏡があったり

ビロードのカーテンを付けたりして頑張ってる


ま、それはともかく、せっかくのお天気です。新緑いっぱいの庭を散歩しない手はありません。


漂ってくるいい香りは、この花、トベラ

あちらにもこちらにも小さな泉水があって、水の音が耳に優しい

そうですよね、王様がそぞろ歩きすることを頭に置いて設計されているんですものね。
今回見たかったのは、ガウディのパーゴラ。何か花が(バラとか藤とか)で覆われているかな、と思ったのですが・・・

期待は見事に外れ、全部緑の葉っぱでした

まあ、ちゃんと日よけの役は果たしているんですけどね

王宮としてはかなり貧弱なんですが、王様はマドリッドにいるんだし、そこには立派な王宮があるんですもの、仕方ないですね。

この館を献上された時、アルフォンソXIII世は、まず一番に、「お風呂を試してみたい」と言われたとか

でもこうして私たちがいつでも心地よい散歩を楽しめるのですからありがたいことです。



追記
先日のDiagonal大通りのモデルチェンジの投票の結果が出ました。
投票率は12.17%(案外低い!)、172、161人が投票し、その80%が、どちらでもない、つまりモデルチェンジ反対と投票したのです。
今朝の新聞には、"Harakiri en Diagonal"と言う見出しでこのニュースが出ました。
↓クリックしていただけると励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。
by gyuopera
| 2010-05-17 18:21
| ミュージアム museos
|
Comments(2)
貧弱と仰いますが、中々立派なパレスですね。
お庭の緑がことのほか美しいです。噴水の下の写真のベンチに座ると気持ちがいいでしょうねえ・・・・
市民投票ですか、結果はやっぱり今のままでと言う選択でしたのね。
この後、そのままにしておいてくれるのでしょうか。
建物の中の写真も興味深く見せていただきました。
市民戦争ってまだ、ほんの昔なのですねえ。
お庭の緑がことのほか美しいです。噴水の下の写真のベンチに座ると気持ちがいいでしょうねえ・・・・
市民投票ですか、結果はやっぱり今のままでと言う選択でしたのね。
この後、そのままにしておいてくれるのでしょうか。
建物の中の写真も興味深く見せていただきました。
市民戦争ってまだ、ほんの昔なのですねえ。
0
♪ 蓮華草さん、こんばんは。
一市民が王様のために建ててさし上げた別邸ということですが、このグエルさん(ガウディのパトロンだった人)はいったいどのくらいのお金持ちの人だったんでしょうね。バルセロナ市は王宮が焼けた時、再建の予定はなかったんでしょうかね。
そんなに広い庭園ではないけれど、とてもいろいろな植物が植えられていて、散歩していて楽しい庭園です。ここに来ると、静かで、ゆったり時間が流れるように思います。
市民戦争は、敗北したバルセロナ市民にとても暗い影を落としました。自治も奪われてしまったし、ここの言葉カタラン語すら禁じられました。人々は市民戦争のことを早く忘れようとしてきましたが、最近はその時の記録をもっと残しておくべきという運動がおこってきています。
一市民が王様のために建ててさし上げた別邸ということですが、このグエルさん(ガウディのパトロンだった人)はいったいどのくらいのお金持ちの人だったんでしょうね。バルセロナ市は王宮が焼けた時、再建の予定はなかったんでしょうかね。
そんなに広い庭園ではないけれど、とてもいろいろな植物が植えられていて、散歩していて楽しい庭園です。ここに来ると、静かで、ゆったり時間が流れるように思います。
市民戦争は、敗北したバルセロナ市民にとても暗い影を落としました。自治も奪われてしまったし、ここの言葉カタラン語すら禁じられました。人々は市民戦争のことを早く忘れようとしてきましたが、最近はその時の記録をもっと残しておくべきという運動がおこってきています。





