カテゴリ:古代ローマ遺跡 romanos( 25 )



バルセロナの前身、ローマ時代の町バルキーノは、厚い壁に囲まれていました。
そのおかげで、町は600年以上もの間、外敵からしっかりと守られていました。この壁のおかげで、バルセロナがカタルニァの首都となりえたのです。当時、タラゴナは大都市で、バルキーノははるかに小規模な町でしたからね。

この壁が一番初めに作られたのは、バルキーノが創られたときで、二層の壁を作って、中をモルタルで埋めました。
さらに三世紀の終わりに、今までの壁のさらに外側にもう一つ壁を作り、その隙間を、町にあったさまざまな建物の石材など(ローマ以前の、イベロ族などの建物)で埋めたので、場所によっては、壁の厚さが8メートルにまでなりました。
市壁の全長は1350mで、8mおきに四角い塔が作られました。塔は全部で76個あり、塔の高さは18m、幅は5.5~6mありました。
塔は通常四角でしたが、門にあたる部分や、角にあった10個は、円形だったり八角形だったりしていました。


それでは、これから、ローマの市壁を、順を追って見てゆきましょう。

円形の塔が良く見えるのは、前回書きました、カテドラルの横の塔です。
また、カテドラルの左手にある、Museo Odisseaの内部にも、円形の塔の基盤部分があって、見ることができます。

カテドラルの左手にある Tapineria通りに入りますと、そこからRamon Verenguer広場を過ぎ、Sots-Tinent Navarro通りからTraginers広場まで、市壁をずっと見ることができます。ここは、Laietana大通りからも良く見えるので、ご存知の方も多いでしょう。

ローマ時代の部分は下だけですが、なかなかいい眺めでしょう。

b0064411_8132420.jpg


この部分は、幅を広くした壁の上に、1302年に王宮(Palau Reial Major)を建てたのです。 飛び出した塔は、サンタ・アガタ礼拝堂(Capella de Santa Agata,1315年)で、この建物の向こう側が王の広場になります。
b0064411_8162281.jpg


少し出っ張ったところがありますが、その下がローマ時代のものですね。
b0064411_818145.jpg


このアーチの部分、内部がごたごたしていますね。
b0064411_8211818.jpg


アーチに続いて、ローマ時代の四角い塔が2つ見えます。
b0064411_825727.jpg


b0064411_8255862.jpg


壁に近寄ると
b0064411_8282444.jpg


かなりひどい積み方をしていますね。日本だったら地震があるから崩れてしまいそう。
b0064411_8274218.jpg


b0064411_8291089.jpg


b0064411_8304972.jpg


b0064411_8313331.jpg


b0064411_832983.jpg


この部分の上に建っているのは、レケセンス邸(Palau Requesens, 1250)です。内部の詳しい写真はこちら
b0064411_15423793.jpg


b0064411_15435086.jpg


もう少し進むと、ここにも塔が

b0064411_8341164.jpg


b0064411_8351330.jpg


良く見ると、面白そうな石がいくつも見られます。
b0064411_836885.jpg


b0064411_8363758.jpg


b0064411_923296.jpg


塔の下の部分に四角い穴が見えますね。
b0064411_903874.jpg


どうも、ここを暖炉にしていたようで、火をたいた跡があります。
b0064411_914952.jpg


ローマの市壁めぐりはまだ続きます。

↓クリックしていただけると励みになります。


by gyuopera | 2007-10-31 06:36 | 古代ローマ遺跡 romanos | Comments(6)
前回、バルセロナの前身であるバルキーノの地図を載せましたが、地図の真ん中を十字に大通りが走っていました。その交差点は、現在の市庁舎広場であるサン・ハイメ(ジャウマ)広場の北東の隅になります。縦の通りの山側は、Bisbe通りになります。当時の道に付いては、後に詳しく書くつもりです。

カテドラルの横、Bisbe通りの入り口に、丸い塔がありますね。

b0064411_67396.jpg


ここは、バルキーノにはいる山側の門で、町には4つの門があったのです。つまり、メイン通りの4つの端、市壁にぶつかったところですね。

道の右側に、四角い通路のようなものが見えますね。今は網戸がはまっていて入ることはできませんが、実はこれは歩行者用の道でした。広いほうの道は、車両用だったのです。といっても、もちろん自動車があるわけではなくて、馬車や荷車、動物たち(家畜)用ですね。
b0064411_6181370.jpg


この門のすぐ横に、町に水を供給していた水道橋の一部が見えます。
b0064411_6192226.jpg

水道橋は2本あり、近くの水源から町に水を供給していました。
実は、この水道橋の一つは、1957年に外側を建て直したものですが、実に良くできているでしょう?

近年になって、Duran i Bas通りの建物が壊されたとき、その建物に隣接した建物の後ろ壁がむき出しになり、そこに水道橋があったのが見つかったのです。
b0064411_630217.jpg

これは今もこのままになっていて、見ることができます。これはオリジナルです。

↓クリックしていただけると励みになります。


by gyuopera | 2007-10-29 16:38 | 古代ローマ遺跡 romanos | Comments(8)

これから少しずつ、バルセロナにある古代ローマの遺跡をご紹介していきます。

以前からもたびたびご紹介し、8月にアウグスト寺院の柱をご紹介しましたが、町の中のあちこちに顔を覗かせている遺跡は、訪れた人々を驚かせます。町の中心に遺跡があるのですから。というのも、バルセロナのゴシック街は、古代ローマの町、バルキーノの上に建っているのです。バルキーノは、当時のローマ皇帝アウグストによって、紀元前15年~10年に作られたもので、イベリア半島を監視する拠点として発展しました。

バルセロナ市歴史博物館で現在見学ができるのは、その北東部分のごく一部の、当時の「産業地区」の4000平米なのですが、ちょうど王の広場の地下の部分に当たります。当時の人口は2000人でした。 この発見は、市民戦争の始まる直前,1931年のことでした。戦争が終わるまで再び埋め、終わった後、1943年に本格的な発掘を始めたのです。 そして、発掘は今でも続いています。


b0064411_745973.jpg


これが当時のバルキーノの町の地図です。


点線でかかれたところが古代ローマの町の地図で、城壁に囲まれた町は、きちんと碁盤の目になっています。
実線でかかれたところは、その上に建てられた後世の建物で、現在残っているものです。

ピンクに塗られたところは、foroといわれ、フォロ・ロマーノという言葉と同じで、神殿のある広場です。ここでいろいろな祭典などが行われ、アウグスト神殿が真ん中にありました。
この前お見せした神殿の柱は、地図で言うと、foroの真ん中の白く残っているところが神殿で、その右下の4本の柱だったのです。

薄茶に塗ったところは、現在、王の広場の地下にあり、バルセロナ市歴史博物館の中から入って見学ができる部分です。

数字がさかさまになっていますが、4がサン・ハイメ広場、バルセロナの市庁舎のある広場です。

ごらんのように、バルセロナはぐるりを市壁で囲まれていました。 
その範囲は、北側がカテドラルの前の通り、東側がライエタナ大通りで、西側と南側は寸断されて、大きな通りはありませんが、残っている部分を見ることができます。市壁は、さらに中世に補強されて、厚い壁になり、その上に建物も建てられています。この市壁は、18世紀までほぼそのままの姿で使われていました。


バルキーノは、アウグストス帝の時代、紀元前15年に創られました。当時の広さはおよそ10ヘクタール。

初めに市壁が作られたのは、紀元270年~320年で、Coelius帝の時代です。
そのときの町の名前は恐ろしく長たらしくて、

"Colonia Iulia Augusta Faventia Paterna Barcino"

と言うものでした。 






↓クリックしていただけると励みになります。


by gyuopera | 2007-10-28 16:00 | 古代ローマ遺跡 romanos | Comments(8)

セビージャから来たお友達と、ゴシック街で待ち合わせしました。

少し早めに着いたので、そのあたりを散策します。

細い道を入ったら、そこに小さな広場があり、そこはこの地区のカルチャーセンター、Pati Llimona(レモンのパティオ)。
b0064411_5371878.jpg


ここに来たことはあったのですが、中には入ったことがありませんでした。ガラス窓の向こうには、絵がいくつも飾ってあり、展覧会をやっているように見えたので、入ってみることに。

b0064411_5391391.jpg


係りの人に聞くと、展覧会は明日から、と言うことでした。そういえば、このあたり、沢山遺跡が発掘されているので、

「え~と、ローマの遺跡が見られますか?」

と聞いてみたら、



「はい、こちらにどうぞ」

と案内してくれます。まだ鍵がかかっているドアを開けてくれました。

古い建物ですが、とてもステキに修復されています。
b0064411_5433688.jpg


b0064411_5443059.jpg


この壁からして、ローマ時代の跡みたいです。
b0064411_5454063.jpg


面白いですね
b0064411_5462693.jpg


中はずいぶん広いみたい
b0064411_547134.jpg


わぁ・・・
b0064411_5482977.jpg


説明が書いてないので、はっきり、何の跡かはわかりませんが
b0064411_549257.jpg


このあたりは、古代ローマ時代の市壁のあったところ。それも、南側の門の辺りです。
b0064411_5511010.jpg


アーチがあります。
b0064411_5503682.jpg


古代ローマ時代の市壁は、壁と壁の間に四角い塔が建てられていました。そして、東西南北に4つの門があったのですが、もんのところは丸い塔でした。この、地面に見えるアーチ型のものは、その門の基盤部分ではないかと思われます。

実は、窓から見える外側は、Regomir通りで、いつも通っていたのですが、中に入ったのは初めて。外からも一部を見ることができるのですが、これがまさかカルチャーセンターの中とは思いませんでした。
思いがけずこんなところが見えて、とても興味深かったです。

夏休み前に、古代ローマ市壁のツアーに参加しました。沢山の写真があって、まだまとめてないのですが、いずれアップいたしますね。

Centro Civic Pati Llimona HP
http://w3.bcn.es/ab/asia/equipament/controller/0,2317,1653_71890_1,00.html?accio=fitxa_eq&idEquip=92086035951&llocInnovador=false

↓クリックしていただけると励みになります。


by gyuopera | 2007-10-25 05:55 | 古代ローマ遺跡 romanos | Comments(10)

アウグスト寺院の柱


バルセロナのカテドラルの真後ろにある細いParadisという通りがあります。
この細い道は、普段あまり人通りがないのでちょっと不気味ですが、その道が直角に折れ曲がる左手に、アーチの入り口があります。
b0064411_5272245.jpg


パティオがあり、上に続く階段が見えますが、興味のあるのはその左手。

4段の階段を下りると
b0064411_5102359.jpg



b0064411_512188.jpg


4本の美しい柱があります。
b0064411_5124936.jpg


紀元一世紀、古代ローマ時代、バルセロナはバルキーノと呼ばれた、城壁に囲まれた人口2000人のローマのコロニーでした。
その真ん中に、時の皇帝アウグストを祭った神殿がありました。
b0064411_5454571.jpg


この4本の柱は、その神殿の後ろ側左側の隅の4本の柱なのです。

こちらが復元図
b0064411_5462435.jpg


奇妙なことに、この柱は周りを個人の建物に囲まれていて、天井まで付いています。

以前はここに入るのは、特別ガイドが付いてきて、入り口の鍵を開けてくれるときだけでした。今は自由に入って見ることができます。

初めて見たとき、息が止まりそうなくらい感動しました。
b0064411_521671.jpg


こんな町の中心の建物の中に、2000年前の神殿の柱が、今もなお美しい姿を保っていることが信じられませんでした。


こちらは夜見たとき
b0064411_5235542.jpg


b0064411_5303886.jpg


柱は、立っているところより少し高いところにあります。
b0064411_5312030.jpg


つまりこれは神殿の基盤部分で
b0064411_5315875.jpg


下の、これを見ながら立っているところが、古代ローマ時代の本当の地面の位置なのです。

でも、この状態でずっとあったわけではありません。この柱は、信じられないことですが、家の中にあったのです。

そのときの絵が、今でも残されています。これは1837年の状態を描いたもの。
b0064411_53559.jpg



1879年にはこんな風に
b0064411_537511.jpg


b0064411_5375060.jpg


b0064411_5381390.jpg


柱頭の部分は建物の3階部分の部屋にすっぽり入っていたのです。素晴らしい部屋だったことでしょうね。

20世紀の初め、この建物の持ち主 Ramon Montaner は、この建物の改装を、甥のLluis Domenech i Montanerに依頼し、この柱は自分のCanet de Marにある、自分の家に移そうと計画しました。でも、歴史的な重要性を説いていさめたのは Josep Puig i Cadafalchでした。


でも、当時は柱が3本しかありませんでした。
 
もう一本は、王の広場にあったのです。 これは、1943年の写真。
b0064411_5472884.jpg


王の広場にあった柱は、1954年になってやっと元の位置に戻されました。
b0064411_5495015.jpg


そんな経歴があって、今私たちはこの美しい柱をここに見ることができるのです。

神殿のそのほかの部分はどこに行ってしまったのでしょう?
それは、その後の西ゴート族、キリスト教徒たちがここにやってきて建物を作るとき、神殿やほかの石を、建築資材として使って、新しい建物を作ったのです。

この4本の柱がそのまま残ったのは、奇跡かもしれません。

モノクロの写真は、この柱のある壁に貼ってあったパネルを上から写真に撮ったものです。

↓クリックしていただけると励みになります。


by gyuopera | 2007-08-25 05:43 | 古代ローマ遺跡 romanos | Comments(6)

私と一緒にバルセロナを散歩しましょう Vamos a pasear conmigo en Barcelona!


by gyuopera