カテゴリ:風の影 Sombra de viento( 13 )


「風の影」のシーンを追うシリーズの13回目が、ちょうどアルダヤ家の場面に当たるというのも、不思議な気がしますが、ティビダボ通り32番地の家はもちろん健在します。

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その家は

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会社のオフィスになっていて

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私が行ったときは、もちろん閉まっていましたが

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暗い歴史などまったく想像もできない、あくまでも明るい家でした。

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裏から回りこめるようなところはなく、隙間から入れるようなところもありません。
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隙間でもあったら、一目見ようと思う人が、好奇心に駆られて入り込むかもしれませんものね。


通りを走る青いトラムは、バルセロナ名物のひとつ

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いつも長い列ができています。

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by gyuopera | 2007-06-12 14:35 | 風の影 Sombra de viento | Comments(5)

アルダヤ家の館のあるティビダボ通りは、豪壮な家が立ち並んでいます。

Casa Evarist Arnús (El Pinar)、1903年、Enric Sagnier設計
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Casa Fornells、 1903年 Joan Rubió i Bellver設計
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Torre Ignacio Portabella、1905年、José Pérez Terraza設計
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まるで建物の展示会場のようです。

さて、アルダヤ家の32番地の建物は・・・・ この次に。


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by gyuopera | 2007-06-11 17:02 | 風の影 Sombra de viento | Comments(5)

今日は、ヌリアの住んでいたアパートのあるサン・フェリップ・ネリ広場をご案内しましょう。

この広場に行く道は2つ。
一つはこちら

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カテドラルからかなり近いところにあるのですが、少し前まではここに来る人もほとんどいなく、大変静かな広場でした。そこにいたる2本の細い道は人通りが無く薄暗くて、思わず身を引き締めて歩くようなところでした。
最近の観光ブームで、この広場もたくさんの人が訪れるようになりました。

この道のすぐ脇に新しいホテルができて、大変きれいになったことも、この広場の安全性をたかめるのに大いに役立ったと思います。以前日本から来た友達を連れてきたら、体を硬くしているのがわかりましたから、怖い場所だったのです。


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今は静かで明るい広場です。
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広場の中心に立つ噴水
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6月の聖体際のときは、花で飾られます。
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広場の名前のサン・フェリップ・ネリ教会は1752年に建てられたもの
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その壁に残るおびただしい弾丸の後は市民戦争のときのもの
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市民戦争時は、この上の屋根が爆撃で落とされ、子供たちが30人亡くなっています。

夜見ると、更に際立って不気味さが漂います
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この広場に入り口のあるアパートはこれ一つですが
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描写されているヌリアの貧しいアパートとは思えません。
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私が思うに、ブリキの郵便受けのある、こんなアパートだったのではないかと思います。
これは全然別の場所なんですが。
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サン・フェリップ・ネリ広場に通じるもう一つの道は、アーチになっています。
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このアーチは、実はライエタナ通り付近にあったものを、道の拡張のためここに移築したものです。
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ここはついこの間まではほとんど人も通らない、ちょっと不気味な通りでした。
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いまや
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自転車タクシーの通る観光名所のひとつ
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この、イサックに瓜二つの小悪魔のついたドアノッカーのある扉もこの通りにあります。
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この次は、いよいよティビダボ通りをご案内いたしますね。

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by gyuopera | 2007-06-09 17:12 | 風の影 Sombra de viento | Comments(4)

フリアン・カラックスのお父さんの帽子店があった、サン・アントニ市場あたりをご紹介しましょう。

サン・アントニ市場は1872年にAntoni Rovira i Triasの設計で建てられた市場
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毎週日曜日には、市場の周りに古書店が並びます。

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付近はにぎやかですが、時々こんな通りもたくさんあります。
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フリアンのお父さんの経営していたフォルトルニー帽子店はもちろんありませんが、このあたり、ラバル地区の近くでもあり、夜の散歩はあまりお勧めではありません。

フリアンのお母さん、ソフィーはフランス人で、ピアノを教えていました。その生徒は、この音楽学校から生徒を紹介してもらっていました。
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1886年、Antoni Falguera設計のモデルニスタの美しい建物です。

フリアンの父フォルトニー氏とソフィーはピノ教会で結婚式を挙げました。
物語ではこれはそんなに重要ではないのですが、ダニエルもしょっちゅうこのあたりを歩いているはずです。

ピノ教会は、ピノ広場に建つゴシック建築の教会です。1328年あたりから長い時間かかって立てられていますが、いまだ完成状態ではありません。というのも、ファサードの聖人像が入っていないからですが、今後もこれはそのままでいることでしょう。

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内部ではよくコンサートが行われます。
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美しいパイプオルガン
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教会の扉
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教会のあるピノ広場
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ペトリチョール通りとの角にある建物は美しいレリーフが
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このあたりはゴシック地区で、細い通りがたくさんあります。

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夜になると雰囲気が変わり、周りの石が何かを語りかけてきそうです。
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夜はやっぱり怖いですね。


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by gyuopera | 2007-06-08 02:41 | 風の影 Sombra de viento | Comments(4)

クララの家のメイド、ベルナルダは、ボルネ市場の野菜屋さんで働いているところをバルセロに見つけられ、家の家政婦にぜひ、と頼み込まれたんでしたね。

ボルネ市場は、1876年、Josep Fontseré & Josep M. Cornet i Masの設計で建てられました。100年ほど市場として使われていましたが、生鮮食品のお店はすべてサンタ・カテリーナ市場のほうに移り、ここはしばらく展示場などとして使われていましたが、図書館になることが決定、工事を始めたところ、地下からたくさんの遺跡が出てきたので、工事はストップ。
今は遺跡の部分を見学することが出来るようになっています。

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市場の東側は、このようにアーチの美しい建物が並んでいますが、修復はこれから。
以前はナッツ類などの食料品店があって、麻袋が並んでいて、量り売りをしてくれるお店などがありました。
ボルンは以前はやはり危険地区だったのですが、いまや若い人の集まる、今流行の地区に大変身。しゃれたブティックやレストランがたくさんできましたから、このあたりもどんどん変わってゆくでしょう。
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さて、ダニエルはクララを自分の誕生パーティに招待しますが、クララはとうとう来ませんでした。かわりにベルナルダが、お嬢様はこれない、と言い訳に来ます。
ダニエルは雨の中を外に飛び出し、歩き回った末、コロンブスの像のあたりまで来ます。

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コロンブスの像の建つ塔はバルセロナ港の目の前。そこで顔の無い男に出会うのです。
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その男は「風の影」の本を集めて焼いている、ライン・クーベルトと名乗る男。ダニエルがその本を持っていることをちゃんと知っていたのです。そしてダニエルは、その本をクララにプレゼントしてしまっていた。クララの身に危険がせまることを感じたダニエルは、その本を取り返しに行きます。そして、その夜、彼は生まれて初めて失恋を経験したのでした。

その夜、怪我をしたダニエルを助けてくれた浮浪者フェルミンは、ダニエルのお父さんのセンベーレ氏の古書店で働くことになり、ダニエルの親友となります。

やがてフェルミンは、ホアキン・コスタ通りのピソに住むようになります。

ホアキン・コスタ通りは、ラバル地区、昔はチノ地区と呼ばれた、以前は危険地区ナンバーワンといわれた一角にあります。
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何年か前は、あまり通りたくないようなところだったのですが、今回通ってみたら、だいぶ明るい雰囲気になっていました。
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さて、ダニエルは、ハビエル・ベラスケス教授に本を届けに大学に行って、そこで友人トマスの妹、ベアトリスと再開します。

バルセロナ大学はグランビアに面して建つ、500年の歴史を誇る大学です。

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ベアトリス(ベア)は、「カトリック系のサンタテレサ学院に長年在籍」していたいわゆるお嬢様。

サンタテレサ学院の建物は、1894年かのガウディが設計したものです。

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by gyuopera | 2007-06-08 02:39 | 風の影 Sombra de viento | Comments(2)

「風の影」の中で、少年ダニエルは、毎日午後、盲目のクララに本を読みに行ってあげますが、二人は時々そのあたりを散歩していました。

目の見えないクララは、「大聖堂の回廊にすわって、人びとのささやきに耳をかたむけたり、石畳の通りに響く足音を聞き分けるのが好き」でした。

大聖堂(カテドラル)は、いまや観光客であふれ、更に全体が修復中ですっぽり青い網でおおってあります。せっかく見に来た人たちはがっかりですね。更に入場料まで取るようになりました。

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パティオはガチョウや白鳥がいて、椰子の木が生い茂り、ちょっと南国風です。ぐるりを回廊が囲んでいます。
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「散歩はいつもペトリチョール通りのケーキ店でおわる。そこでクリームシャンテリーか、スポンジケーキとメレンゲ菓子を二人で分けるのだ」

ペトリチョール通りは、ランブラス通りから一本入った、ミケルの住んでいたポルタフェリサ通りからピノ広場に抜ける通りです。今は画廊やしゃれたブティック、インテリアショップの並ぶとても魅力的な通りですが、30年位前までは、スリや引ったくりが日常茶飯事のとても物騒なところだったそうです。でも60年位前は、フランコ圧政時代でもっと犯罪が少なかったのでしょう。
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この通りには、プリンの最高においしいお店がありますが
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二人がいつも行っていたケーキ店は、多分ここ
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ウィンドーの一列目、一番左がクレマ・カタラナ、クリーム・シャンテリーと訳されたものでしょう。その隣がメレンゲ菓子。どちらもかなりの甘さ。スポンジケーキは日本のよりずっと固く、普通パン屋さんで売っています。

ペトリチョール通りはピノ広場に抜けるので、通りの終わりには、突き当たりに広場に建つピノ教会が見えます。 こちらはまた後で触れます。

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ランブラス通りは旧市街のメインの通りで、カタルニァ広場から、海辺のコロンブスの像まで続く、真ん中に広い散歩道のある通りです。バルセロナを訪れた方は、まず間違いなく一度は通ったところでしょう。
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観光客でごった返すランブラス通り
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バルセロナっ子には、この喧騒がとてもバルセロナらしくて好きと言う人が多いですね。

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中ほどにはオペラハウス、リセウがあります。
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上演の度に着飾った人たちであふれかえります
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内部は全くの別世界
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続いてボケリア市場。オペラハウスのすぐ近くにあるというのも面白いですね。
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ボケリア市場は1860年、Josep Mas i Vilaの設計で建てられた歴史のある市場。
普通の市場は午前中で終わりなのに、ここは夜9時頃まで開いています。
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ここも観光客の押し寄せる名所になってしまいました。
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ランブラスは夜中の12時でも人が一杯です。でもコロンブスの像のある辺りまで行くと、ちょっと危険区域ですから、夜はご注意!私は一度も怖い思いをしていないのですが、このあたりで引ったくりに会った人たちをたくさん知っています。
とくにこのアルコ・デ・テアトロあたり。
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もう少しカタルニァ広場に近づくと、ベトレム教会
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後に、フェルミンが大家のドーニャ・エンカルナのために、「10回ミサに預かることを固く誓った」という教会ですね。

ランブラスはバルセロナっ子の心のふるさとのようなものかもしれません。

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by gyuopera | 2007-06-07 15:37 | 風の影 Sombra de viento | Comments(8)

前回ご紹介したレイアル広場は、ふつうランブラス通りとフェラン通りからはいります。

ランブラスから入る入り口はこちら


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こちらがpasaje Bacardiの入り口。薄暗いので、知っている人以外、人はあまり通りません。
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アーチの部分に年号が
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中に入ると、ランブラスの喧騒は消え、広場に着くまでは静かです。
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レイアル広場には、今ちょうど空き缶などリサイクル品で作った像が300体も並んでいました。
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あんまりアーティスティックに見えないけれど
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ちょっと壮観でした。
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広場に面しているピソは、このあたりはかなり立派そうですが、
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このあたりはそうでもなさそう
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フェラン通りから広場に入るアーチ。フェルミンのいたところですね。
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広場からフェラン通りに抜けるもう一つの道があります。
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フェラン通りは左右にお店の並ぶにぎやかな通り
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でも、バルセロナで一番スリの多い通りだとのこと。気をつけましょう。

この通り、映画「香水~ある人殺しの物語」で、初めてパリの町に出た時に使われました。
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その映画に使われた、初めて出てくる香水屋さんが、このフェランとおりからレイアル広場に抜ける細い道にあります。
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映画ではすばらしい高級香水店のように映っていましたが
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実は古い古い(ボロが付きそうな)ハーブのお店。創業が1823年だそう。
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ガス灯だったものをそのまま電気を入れて使っています。
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この窓辺にたたずんでいたのですが・・・実際はごく普通です。 映画の魔術でしょうか。
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by gyuopera | 2007-06-07 00:42 | 風の影 Sombra de viento | Comments(6)

アテネウの図書館で、バルセロの姪クララに、毎日本を読んであげる約束をしたダニエルは、それから毎日、レイアル広場にあるバルセロの家に行きます。

「レイアル広場に面した宮殿並みのピソ」「サンタ・アナ通りの質素なピソに住み慣れたぼくにしてみれば、エル・エスコリアル宮殿のミニチュアでも見ている感じ」

レイアル広場は、1859年、Francesc Daniel Molinaの設計で建設されました。
1900年代後半は、麻薬の取引の行われる非常に危険なところでした。私がバルセロナに来た23年位前も、まだまだ不穏な雰囲気があり、そこにはめったに足を運ぶことはありませんでした。でも最近は警備が厳しくなり広場にはいつもパトカーが停まっていて、危険な感じはなくなりました。

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広場はアーチの回廊で囲まれた、なかなか雰囲気のあるところです。
映画「香水~ある人殺しの物語」でも、このアーチがちらちらと見えていました。

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アーチって、どこから見てもなかなか素敵なものです。
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ランブラス通りから入る入り口は2つあり、こちらのほうが小さいので通る人が少ないのですが、ガラス張りの橋のある通りがあります。 pasaje Bacardiという名前がついています。
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今はかなり荒れていますが、かつてはかなり美しい通りだったことでしょう。この通りの存在すら、長いこと知りませんでした。ここは、レイアル広場と同じ建築家の手によるもので、1856年に作られています。
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ここから入ってくる人はほとんどいないので、ちょっと用心が必要。


レイアル広場から海側に抜ける通りは、初めて通ったときはぞっとして、駆け足で通り過ぎたものです。
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周りの、かつてお店があったところはすべてシャッターが下りていて一つも開いていません。人通りはぱたりと無くなり、背筋がぞくっとするようなところでした。
今は観光客が時々歩いていますが、にぎやかな広場に通じる道なのに、ここは空気が違うようです。

レイアル広場に抜ける細い道がいくつかありますが、いずれも人通りがほとんど無く、歩いてあまり気持ちの良いものではありません。
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広場からフェラン通りに抜ける道は、広くて、レストランやカフェがたくさんあり、とてもにぎやかです。
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本では、浮浪者だったフェルミンがいたところとなっています。
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でもここには昔からバールがあって、にぎやかだったんですね。
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アーチの上にもピソがあります。
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ところで、バルセロの家はこのあたりなのでしょうか
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残念ながら、この広場に面したピソの内部がどうなっているか、全くわかりません。
昔はお金持ちの住む地区だったのかもしれませんが、少なくとも近年はそうでもなかったのでしょう。
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by gyuopera | 2007-06-05 06:19 | 風の影 Sombra de viento | Comments(8)

クワトロ・ガッツでバルセロに会ったダニエルは、翌日カヌーダ通りにあるアテネオにある図書館に「風の影」の本を持って行きます。

「当時のアテネオは ------今でもそれは変わらないが------十九世紀が定年を迎えたという知らせをいまだに受け取っていない、パルセロナに数多く残る名所のひとつだった」

というくだりでも想像がつくように、この建物は1779年、Sabbassona男爵が建てさせたネオクラッシックスタイルの建物で、アテネオは1876年創立ですが、この建物に入ったのは1906年です。
現在は本の数が300,000冊、古いものは16,17,18世紀の本もあるそうで、市立図書館としてはカタルニァでは最大です。

「宮殿ふうの中庭から、幅広い石外階段が上階につづき」

となっている入り口
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ところが、この間行ったらこんな風になっていました。
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あらら・・・壁と言わず柱と言わず、ハエだか蜂が一杯。何かの展示会をやっていました。
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階段の上がり口あるアテネ像
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普段は会員以外はいることはできません。コンサートや特別の行事のときは入れるのです。
階段を上がっていく途中のランプの素敵なこと
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階段の上に、建物に入る扉があります。
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中にクラッシックなバーがあり
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更に階段を上ると図書館
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この図書館は外部の人は入れませんから、写真はアテネオのHPよりお借りしました。

この建物のパティオは二階にあって、日がさんさんと照っています。
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ダニエルはこの脇のガラス張りの廊下で、バルセロとその姪のクララにあったのですね。
そして、この本にまつわる、いろいろな不思議な話を聞くのです。


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by gyuopera | 2007-06-04 23:18 | 風の影 Sombra de viento | Comments(2)

ダニエルは、「風の影」の本についてもっと知りたくて、お父さんに連れられて、クワトロ・ガッツというレストランに行って、「珍奇な本に精通している」というバルセロという、裕福な、やはり古書店の経営者に会いに行きます。

このクワトロ・ガッツは、いまやどの観光案内所にも載っている有名レストランになってしまいましたが、一時はかなり寂れてしまったことがありました。

このレストランの創始者はPere Romeu。 彼は19世紀の終わり、パリの「黒猫」というキャバレーで働いていて、こんな雰囲気のレストランをバルセロナにも作りたいと思い、ラモン・カサス、サンティアゴ・ルシニョール(二人ともカタルニァを代表する画家)らとともに、1897年6月12日にMontsio通りにオープンしました。
建物はPuig i Cadafalchのかなりごてごてとしたデザインです。
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開店当時は大変評判になり、1899年には、当時17歳だったピカソもここの常連になり、初めての個展を開いたり、レストランのメニューの表紙絵を描いたりしました。
ここには音楽家・作曲家のアルベニス、エンリケ・グラナドス、建築家のルイス・ミレ、画家のノネイ、オッピソなど、芸術家が集まる独特の雰囲気がありました。

経営者のぺぺ・ロメウは経営者としてはあまり向いていなかったようで、食事の値段をかなり抑え、払えない人がいれば気前よく、「また払えるときでいいよ」といった具合でしたから、1903年には経営困難で閉店せざるを得なくなってしまったのです。彼は1908年に結核で亡くなるまで、ずっと貧困にあえいでいました。
クワトロ・ガッツの弊店を嘆く芸術家は多かったのですが、市民戦争のせいもあり、再び日の目を見たのはやっと1970年代後半。 1989年からはジョセップ・フェレが経営に乗り出し、1991年に建物は修復され、現在に至っています。

レストランのあるMontsio通りは普段あまり人通りの無い静かな通り
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最近こそ観光客が多く訪れるようになりましたが、以前はちょっと怖かったのですよ。

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内部はいつも観光客で満員

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ボケボケですいません。これもラモン・カサス
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レジのおじさん。動いちゃった
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今ではこのレストラン、予約なしではまず入れません。

これはラモン・カサスの「タンデム」
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レストランに入ってすぐ左の壁に描かれています。このオリジナルはMNAC(カタルニァ美術館)にあります。これはテーブルの上に敷かれているもの。

ピカソの描いたメニューの表紙の絵
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長々と歴史を書きましたが、ダニエルがお父さんと行ったときは、実はこのレストランは営業していなかったと言うわけです。


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by gyuopera | 2007-06-04 21:54 | 風の影 Sombra de viento | Comments(0)

私と一緒にバルセロナを散歩しましょう Vamos a pasear conmigo en Barcelona!


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