2008年 07月 22日
バルセロナの旧ユダヤ人街 |
ゴシック地区にある、旧ユダヤ人街は、以前詳しく書いたことがありますが、以前はあまり人も来なかったところが、今は観光客の押し寄せる場所になりました。
この地区でいちばん古い建物だった、今にも崩れそうな「魔女の家」はカルチャーセンターとして生まれ変わり、昔の面影はなくなりました。
それでも時間を変え、季節を変えてこのあたりを通ると、石の壁の向こうから、昔の人のため息が聞こえてくるような気がするのです。
つづく
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この地区でいちばん古い建物だった、今にも崩れそうな「魔女の家」はカルチャーセンターとして生まれ変わり、昔の面影はなくなりました。
それでも時間を変え、季節を変えてこのあたりを通ると、石の壁の向こうから、昔の人のため息が聞こえてくるような気がするのです。
つづく
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by gyuopera
| 2008-07-22 06:15
| バルセロナ案内 Barcelona
|
Comments(12)
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tripper_01 at 2008-07-22 09:02
おお!探検隊が行く!
好いですね、不気味ですけどね!
リヨンの旧市街はスケールが小さいですが、街角の要所要所に目立たぬながらも
監視カメラが設置してあって、かなり治安を意識していました。
好いですね、不気味ですけどね!
リヨンの旧市街はスケールが小さいですが、街角の要所要所に目立たぬながらも
監視カメラが設置してあって、かなり治安を意識していました。
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un-chat at 2008-07-22 09:51
gyuさんこんにちは。
変わりゆく旧市街は淋しいような、同時に今まで脚を踏み込めなかった場所が安全になった証拠でもあるような、複雑な心境になりますね。
以前の記事の魔女の家、勿論覚えてますよ!
面影がなくなってしまうことと治安が良くなる事は比例してしまうのかも知れませんねえ。。
ちょっと残念ですが 、gyuさんの「石の壁の向こうから、昔の人のため息が聞こえて、、、、」と言う下り、とても共感しています。
変わりゆく旧市街は淋しいような、同時に今まで脚を踏み込めなかった場所が安全になった証拠でもあるような、複雑な心境になりますね。
以前の記事の魔女の家、勿論覚えてますよ!
面影がなくなってしまうことと治安が良くなる事は比例してしまうのかも知れませんねえ。。
ちょっと残念ですが 、gyuさんの「石の壁の向こうから、昔の人のため息が聞こえて、、、、」と言う下り、とても共感しています。
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grappa-tei at 2008-07-22 09:52
前回の記事を読んでもはっきりしないので、お聞きしますが、このゲットー、バルセロナのどの辺りにあるのでしょうか?それにしても、凄いインパクトですねー。イタリアのユダヤ人も戦争中、強制収容所に送られることが多かったようですが、スパインではそれはなかった?ゲットーって、そんな昔からあったということも知りませんでした。いい年をして、知らないことに満ちていますよ、まだまだ。
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superoxide2006 at 2008-07-22 10:35
はじめまして。
去年の夏バルセロナ旅行へ行くためにこちらのブログを拝見させていただき、とても参考にしました。
gyuさんが紹介されてたレストランは2件ほどいきました☆
どちらもggodでした!
今年も10月にバルセロナへ行く予定です。また参考にさせていただいてます。
このユダヤ人地区は大変興味深いです。
私も少し調べてみようという気になりました。
ボシック地区の中にあるのでは・・と思いますが・・・
散策してみようと思います。
ではまたお邪魔させていただきます♪
去年の夏バルセロナ旅行へ行くためにこちらのブログを拝見させていただき、とても参考にしました。
gyuさんが紹介されてたレストランは2件ほどいきました☆
どちらもggodでした!
今年も10月にバルセロナへ行く予定です。また参考にさせていただいてます。
このユダヤ人地区は大変興味深いです。
私も少し調べてみようという気になりました。
ボシック地区の中にあるのでは・・と思いますが・・・
散策してみようと思います。
ではまたお邪魔させていただきます♪
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gyuopera at 2008-07-22 15:26
♪ tripperさん、おはようございます。いつもコメントありがとうございます。
バルセロナも最近かなり監視カメラを見かけるようになりました。今に、すべての行動は監視されているようになるかもしれませんね。
このあたり、昼間は全く問題ないのですが、夜になるとやっぱり怖い。でもホテルやカルチャーセンターができたり、バルが開店したりで、少しずつ活気を帯びてきています。あんまり変わってほしくはない気もするけれど、安全に歩けるのはいいことだと思います。
バルセロナも最近かなり監視カメラを見かけるようになりました。今に、すべての行動は監視されているようになるかもしれませんね。
このあたり、昼間は全く問題ないのですが、夜になるとやっぱり怖い。でもホテルやカルチャーセンターができたり、バルが開店したりで、少しずつ活気を帯びてきています。あんまり変わってほしくはない気もするけれど、安全に歩けるのはいいことだと思います。
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gyuopera at 2008-07-22 15:31
♪ ねねさん、おはようございます。コメントどうもありがとうございます。
「魔女の家」がカルチャーセンターになったとき、その前の広場でちょっとしたお祭りや生演奏がありました。その時のことを記事にしようと思ったのですが、あまりに醜悪なモダンな正面に、うんざりしてやめてしまいました。周りが古いのに、そこだけコンクリートの箱のようなんです。
そのころ、時間を変えてそのあたりを撮った写真がまだあったので、今回アップしました。私としては、ちょっとさびしい気持ちのほうが強いのですが・・・時代の流れでしょうか。
初めてこのあたりに足を踏み込んだ時は、昼間でもうす暗く不気味な地区でしたから、走るように通り過ぎたことを思えば、よくなったのかもしれませんけど、やっぱり残念な気持ちも抑えることはできませんね。
「魔女の家」がカルチャーセンターになったとき、その前の広場でちょっとしたお祭りや生演奏がありました。その時のことを記事にしようと思ったのですが、あまりに醜悪なモダンな正面に、うんざりしてやめてしまいました。周りが古いのに、そこだけコンクリートの箱のようなんです。
そのころ、時間を変えてそのあたりを撮った写真がまだあったので、今回アップしました。私としては、ちょっとさびしい気持ちのほうが強いのですが・・・時代の流れでしょうか。
初めてこのあたりに足を踏み込んだ時は、昼間でもうす暗く不気味な地区でしたから、走るように通り過ぎたことを思えば、よくなったのかもしれませんけど、やっぱり残念な気持ちも抑えることはできませんね。
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gyuopera at 2008-07-22 15:40
♪ grappa-teiさん、おはようございます。コメントどうもありがとうございます。
旧ユダヤ人街は、Sant Jaime広場の州政府の建物の左の道を入ったあたりです。そこに半地下にあるシナゴグも見学できるようになりました。また、のちになってその南側にもできたのですが、いずれにせよ1391年に終わってしまったのです。その後いつからまたユダヤ人が入ってきたのかはわかりません。現在はかなり多いと思います。
見つかったシナゴグは、"call de barcelona"で検索しますと、ユダヤ人のバルセロナにおける歴史や、内部の写真が見れて、大変興味深いものです。
旧ユダヤ人街は、Sant Jaime広場の州政府の建物の左の道を入ったあたりです。そこに半地下にあるシナゴグも見学できるようになりました。また、のちになってその南側にもできたのですが、いずれにせよ1391年に終わってしまったのです。その後いつからまたユダヤ人が入ってきたのかはわかりません。現在はかなり多いと思います。
見つかったシナゴグは、"call de barcelona"で検索しますと、ユダヤ人のバルセロナにおける歴史や、内部の写真が見れて、大変興味深いものです。
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gyuopera at 2008-07-22 16:24
♪ superoxideさん、おはようございます。再びバルセロナにいらっしゃるのですね。ガウディはもとより、歴史に興味のある方にはとても面白い町だと思います。上の方のコメントのお返事にも書きましたが、このユダヤ人街のことは、call de barcelonaで検索なさるといろいろ出てきます。でも、時々間違ったりもしていておかいいんですけどね。
場所はサン・ハイメの広場からも近いので、行きやすいです。この広場の視聴者の中に観光案内所があり、そこで地図もくれます。
10月にいらっしゃるのでしたら、帽子はかぶらないでくださいね。観光客の看板を下げているようなものですから。
場所はサン・ハイメの広場からも近いので、行きやすいです。この広場の視聴者の中に観光案内所があり、そこで地図もくれます。
10月にいらっしゃるのでしたら、帽子はかぶらないでくださいね。観光客の看板を下げているようなものですから。
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hai-toku at 2008-07-22 20:19
「旧ユダヤ人街」こんな場所があるのですね。知りませんでした。ヨーロッパの各地には、縁のある都市にはあるのでしょうね。バルセロナ、スペインとユダヤ人との関係がいまひとつ認識していませんでした。よく、考えて見ます。
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gyu
at 2008-07-22 20:42
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♪ hai-tokuさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
イサベル女王の治世の時代(15世紀終わり)に、レコンキスタというのがありまして、カトリック以外の宗教を持つ人はスペインから追放されました。その時、たくさんのユダヤ人もスペインから追放され、イタリアに行った人たちもいました。その子孫がヴィヴァルディやストラディヴァリウス出会ったといわれていますから、スペインとしては大変な損失でもあったわけです。
バルセロナの場合はそれより早く、1391年にユダヤ人襲撃があり、ユダヤ人街は終焉を迎えています。その後、いつごろかまた入国が許されたのか、詳しいことはわかりません。いずれにせよ、悲惨な歴史があるのですね。
イサベル女王の治世の時代(15世紀終わり)に、レコンキスタというのがありまして、カトリック以外の宗教を持つ人はスペインから追放されました。その時、たくさんのユダヤ人もスペインから追放され、イタリアに行った人たちもいました。その子孫がヴィヴァルディやストラディヴァリウス出会ったといわれていますから、スペインとしては大変な損失でもあったわけです。
バルセロナの場合はそれより早く、1391年にユダヤ人襲撃があり、ユダヤ人街は終焉を迎えています。その後、いつごろかまた入国が許されたのか、詳しいことはわかりません。いずれにせよ、悲惨な歴史があるのですね。
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mobiliantichi at 2008-07-23 21:29
イタリアでゲットーの通りを歩いた時、窓はばらばらにあって、はっきりと建物の階数がわからないようにしてある、というような説明を聞きました。1階と2階の間に実はもう一階あって、隠し部屋になっているとか。これは世界大戦のころの話かもしれませんが。
写真の窓をみながら、そんなことを思い出しました。
写真の窓をみながら、そんなことを思い出しました。
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gyu
at 2008-07-23 22:22
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mobiliantichiさん、こんにちは。イタリアのゲットーも歩いたことがあるんですか~。
昔の建物は、とても構造が複雑で、それは後年建物を継ぎ足したり、切ったり、上階を作ったりと、いろいろな改装が施されていることもあるのですが、たとえばこの下から10枚目の写真は、半地下が、13世紀に作られたシナゴグになっていますが、その上の3階からは後世に建て増ししたものです。シナゴグのベースは、ローマ時代のもので、その石はアフリカのカルタゴから来たものなんだそうです。
ユダヤ人がいなくなってから、そこは15世紀、染物屋として使われ、まだその跡がるのです。ここは見学できるのですが、ほかの家は一体内部がどうなっているのかすごく興味があります。
昔の建物は、とても構造が複雑で、それは後年建物を継ぎ足したり、切ったり、上階を作ったりと、いろいろな改装が施されていることもあるのですが、たとえばこの下から10枚目の写真は、半地下が、13世紀に作られたシナゴグになっていますが、その上の3階からは後世に建て増ししたものです。シナゴグのベースは、ローマ時代のもので、その石はアフリカのカルタゴから来たものなんだそうです。
ユダヤ人がいなくなってから、そこは15世紀、染物屋として使われ、まだその跡がるのです。ここは見学できるのですが、ほかの家は一体内部がどうなっているのかすごく興味があります。