2007年 11月 02日
古代ローマ時代の遺跡 6 |
さて、ローマの市壁、この前Correu Vell通りで見たあとは、Regomir通りに入ります。
通りに入ったとたん、こんなステキな入り口のお店がありました。時代を感じさせる・・・と言いたいところですが、今は古代ローマの遺跡めぐりですから、100年前と言ったらずいぶん新しいものですよね(笑)。
ローマ時代の海側の門の跡は、このRegomir通りで見ることができます。10月25日の「こんなところにもローマ遺跡が」で、建物の中にローマ遺跡があるところをお見せしましたが、ここは外側から見るとこんな風です。
ローマ時代の地面がかなり低いところにあるのがお分かりいただけますね。
このアーチは,海側の門の一部で、人が通るための通路でした。真ん中の、車両や動物の通る門の左右に、人の通る門があり、片方は出るほう、片方は入るための通路でした。
門のある左右の塔は円筒で、基盤が見えていますね。
このすぐ横に、小さな礼拝堂 Capilla Sant Cristofer があります。
1800年の年号が彫られていますね。
内部が作られたのは、1861年と言うことです。
このRegomir通りは、大変歴史のある通りなのです。ローマ時代、メインの通りが市を十文字に走っていましたが、このRegomir通りが縦の通りの下の部分になります。
そこの6番地は、普通のアパートのように見えますが、
これが大変な建物だと言うことがごく最近わかったのです。
古代ローマ時代の町は、縦に長い八角形でした。③の部分がRegomir通りです。
南の部分が四角く出っ張っていますね。これは、港の監視が良くできるよう、市壁を一部壊して、出っ張った部分が造られ、それは"Castellum" (お城)と呼ばれました。そこは地上から20mの高さで、6mの出っ張りになっており、そこには縦4m、横7mの長方形の部屋がありました。
この塔は、1861年、Regomirの通りの邪魔になるので、撤去されました。上のSant Cristofer礼拝堂はそのときに建てられたものです。
Regomir通りの、このあたりの建物は、13世紀から1999年まで、Dusay家の持ち物でした。 今の建物は、1855年のリフォーム後の姿です。 この前に建っているすごい門構えの家は、Gualbes邸といって、中世の古い家ですが、このことはまたいつか触れることにしましょう。
さて、このRegomir6番地の持ち主の一人であるConstanzaさんは、ここのPlanta principal(普通、日本で言う2階)に住んでいるのですが、部屋を改造しようとして、壁を撤去したところ、この”Castellum"の北西の塔が現れたのです。それは3階まで続いていて、高さが18m、部分的には20mの高さがありました。その塔に付随して、高さ10m、長さ5mの市壁の一部もありました。
さらに、建物の1階には、柱頭のあるルネサンス様式の美しい4本の柱が見つかりました。これは16世紀に、Dusay家の宮殿を飾っていたものと思われます。
さらにさらに(笑)、この建物の地下に、また違った時代のものが発見されました。
それは12世紀に造られた、地下に続く29段の螺旋階段で、地下9mまで続いていました。そしてそこに、円形の礼拝堂跡が見つかったのです。それは、1134年から1314年の間にテンプル騎士団によって造られたもので、礼拝堂は1248年まで使われていました。
つまり、この建物の中には、古代ローマ時代のもの、中世のもの、ルネッサンス様式のものと言う、3つの時代の遺跡が見つかったのです。
これは2004年3月21日の新聞の切り抜きです。古代ローマの遺跡にとても興味があったので、こういった記事は全部スクラップしてあるんです。
左上が螺旋階段、その右がローマの塔の一部、その下がルネサンス様式の柱の写真で、下の写真はテンプル騎士団の礼拝堂の廃墟です。
そしてこれが2004年5月25日
2ヵ月後、Regomir通り6番地の地下の一部で、綺麗に発掘された部屋が見えますが、これが紀元一世紀のものと言うことです。
この発見は、アウグスト寺院と同じくらいの重要性があるということで、その後どうなったかわかりませんが、近い将来、一般公開されるのではないでしょうか。すごく楽しみです。
↓クリックしていただけると励みになります。
通りに入ったとたん、こんなステキな入り口のお店がありました。時代を感じさせる・・・と言いたいところですが、今は古代ローマの遺跡めぐりですから、100年前と言ったらずいぶん新しいものですよね(笑)。
ローマ時代の海側の門の跡は、このRegomir通りで見ることができます。10月25日の「こんなところにもローマ遺跡が」で、建物の中にローマ遺跡があるところをお見せしましたが、ここは外側から見るとこんな風です。
ローマ時代の地面がかなり低いところにあるのがお分かりいただけますね。
このアーチは,海側の門の一部で、人が通るための通路でした。真ん中の、車両や動物の通る門の左右に、人の通る門があり、片方は出るほう、片方は入るための通路でした。
門のある左右の塔は円筒で、基盤が見えていますね。
このすぐ横に、小さな礼拝堂 Capilla Sant Cristofer があります。
1800年の年号が彫られていますね。
内部が作られたのは、1861年と言うことです。
このRegomir通りは、大変歴史のある通りなのです。ローマ時代、メインの通りが市を十文字に走っていましたが、このRegomir通りが縦の通りの下の部分になります。
そこの6番地は、普通のアパートのように見えますが、
これが大変な建物だと言うことがごく最近わかったのです。
古代ローマ時代の町は、縦に長い八角形でした。③の部分がRegomir通りです。
南の部分が四角く出っ張っていますね。これは、港の監視が良くできるよう、市壁を一部壊して、出っ張った部分が造られ、それは"Castellum" (お城)と呼ばれました。そこは地上から20mの高さで、6mの出っ張りになっており、そこには縦4m、横7mの長方形の部屋がありました。
この塔は、1861年、Regomirの通りの邪魔になるので、撤去されました。上のSant Cristofer礼拝堂はそのときに建てられたものです。
Regomir通りの、このあたりの建物は、13世紀から1999年まで、Dusay家の持ち物でした。 今の建物は、1855年のリフォーム後の姿です。 この前に建っているすごい門構えの家は、Gualbes邸といって、中世の古い家ですが、このことはまたいつか触れることにしましょう。
さて、このRegomir6番地の持ち主の一人であるConstanzaさんは、ここのPlanta principal(普通、日本で言う2階)に住んでいるのですが、部屋を改造しようとして、壁を撤去したところ、この”Castellum"の北西の塔が現れたのです。それは3階まで続いていて、高さが18m、部分的には20mの高さがありました。その塔に付随して、高さ10m、長さ5mの市壁の一部もありました。
さらに、建物の1階には、柱頭のあるルネサンス様式の美しい4本の柱が見つかりました。これは16世紀に、Dusay家の宮殿を飾っていたものと思われます。
さらにさらに(笑)、この建物の地下に、また違った時代のものが発見されました。
それは12世紀に造られた、地下に続く29段の螺旋階段で、地下9mまで続いていました。そしてそこに、円形の礼拝堂跡が見つかったのです。それは、1134年から1314年の間にテンプル騎士団によって造られたもので、礼拝堂は1248年まで使われていました。
つまり、この建物の中には、古代ローマ時代のもの、中世のもの、ルネッサンス様式のものと言う、3つの時代の遺跡が見つかったのです。
これは2004年3月21日の新聞の切り抜きです。古代ローマの遺跡にとても興味があったので、こういった記事は全部スクラップしてあるんです。
左上が螺旋階段、その右がローマの塔の一部、その下がルネサンス様式の柱の写真で、下の写真はテンプル騎士団の礼拝堂の廃墟です。
そしてこれが2004年5月25日
2ヵ月後、Regomir通り6番地の地下の一部で、綺麗に発掘された部屋が見えますが、これが紀元一世紀のものと言うことです。
この発見は、アウグスト寺院と同じくらいの重要性があるということで、その後どうなったかわかりませんが、近い将来、一般公開されるのではないでしょうか。すごく楽しみです。
↓クリックしていただけると励みになります。
by gyuopera
| 2007-11-02 16:22
| 古代ローマ遺跡 romanos
|
Comments(6)
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by
alex
at 2007-11-02 18:20
x
わ~い!(っと、歳はいくつなんだか…恥)、またアップされていますね! そしてなんとテンプル騎士団!? テンプル騎士団と言ったら、いろいろ歴史的事実・伝説含めて興味あるものですね。 それに綺麗にアーチの残っている紀元1世紀の部屋…。2000年の時の流れを1カ所で感じられるなんて、凄いことですね。
0
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gyuopera at 2007-11-02 23:13
♪ alexさん、いつもコメントをありがとうございます。
私もこの記事を読んだとき、息を呑みました。すごいっ!!てね。
その後、発掘がどうなったのか、記事を見逃しているのかもしれませんが、もう何年もたっていますから、かなり進んでいると思います。
でもね、古い建物の修復は、10年20年かかるんだそうですから、木の長い話ですね。ゴシック街も、綺麗に修復された建物が次々と開かれています。ちょっと行かないと、もう新しいお店ができていたり。この間も、新しくなった建物の管理人さんに話を聞いたら、16世紀のものだと言うこと、中庭と、2階のパティオも特別に見せてくれました。
ゴシック街は古くて新しい地区なんですね。
私もこの記事を読んだとき、息を呑みました。すごいっ!!てね。
その後、発掘がどうなったのか、記事を見逃しているのかもしれませんが、もう何年もたっていますから、かなり進んでいると思います。
でもね、古い建物の修復は、10年20年かかるんだそうですから、木の長い話ですね。ゴシック街も、綺麗に修復された建物が次々と開かれています。ちょっと行かないと、もう新しいお店ができていたり。この間も、新しくなった建物の管理人さんに話を聞いたら、16世紀のものだと言うこと、中庭と、2階のパティオも特別に見せてくれました。
ゴシック街は古くて新しい地区なんですね。
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tripper_01 at 2007-11-03 15:49
Capilla Sant Cristofer 、木枠の金色文字(?)は落書きですよね...
私が観た時は扉も石壁も、もっともっと落書きだらけでしたが、こうして
少しでも綺麗になると全然印象が違いますね!
世界中どこもかしこも同じ様な落書きでガッカリします。
私が観た時は扉も石壁も、もっともっと落書きだらけでしたが、こうして
少しでも綺麗になると全然印象が違いますね!
世界中どこもかしこも同じ様な落書きでガッカリします。
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gyuopera at 2007-11-03 16:48
♪ tripperさん、おはようございます。 ひざの具合はいかがですか?
落書きは本当に不愉快ですね。特に、こういう貴重な遺産ともいえるものに落書きをするなんて許せません。
日本では比較的少ないですが、ヨーロッパはどこに行っても多いですね。こういうのは重い実刑を科すべきだと思いますね。
落書きは本当に不愉快ですね。特に、こういう貴重な遺産ともいえるものに落書きをするなんて許せません。
日本では比較的少ないですが、ヨーロッパはどこに行っても多いですね。こういうのは重い実刑を科すべきだと思いますね。
これ凄いですね。リフォームしようとしたら、古代遺跡発掘になっちゃって、まあそれは場所的に予想は出来たにしても、更に地下礼拝堂まで掘り当てちゃったって・・・。まるでPCのダンジョンゲームみたい。
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gyu
at 2007-11-05 16:55
x
♪ KLE4cさん、おはようございます。沢山コメントをありがとうございます。
この記事を読んだときは、すごいわくわくしてしまって、すぐその住所のところに飛んでいきましたよ(笑)。でも外部から見たら、普通の玄関で、中が見られるわけではなく・・・がっかりして帰ってきたのですが、今もそのままです。でも、その前に建っている、開かずの扉の館の門が開いていて、パティオまで入ってみることができるようになっていたので、ここもいずれそうなるかしら、と期待しています。
この記事を読んだときは、すごいわくわくしてしまって、すぐその住所のところに飛んでいきましたよ(笑)。でも外部から見たら、普通の玄関で、中が見られるわけではなく・・・がっかりして帰ってきたのですが、今もそのままです。でも、その前に建っている、開かずの扉の館の門が開いていて、パティオまで入ってみることができるようになっていたので、ここもいずれそうなるかしら、と期待しています。