古代ローマ時代の遺跡 1 


これから少しずつ、バルセロナにある古代ローマの遺跡をご紹介していきます。

以前からもたびたびご紹介し、8月にアウグスト寺院の柱をご紹介しましたが、町の中のあちこちに顔を覗かせている遺跡は、訪れた人々を驚かせます。町の中心に遺跡があるのですから。というのも、バルセロナのゴシック街は、古代ローマの町、バルキーノの上に建っているのです。バルキーノは、当時のローマ皇帝アウグストによって、紀元前15年~10年に作られたもので、イベリア半島を監視する拠点として発展しました。

バルセロナ市歴史博物館で現在見学ができるのは、その北東部分のごく一部の、当時の「産業地区」の4000平米なのですが、ちょうど王の広場の地下の部分に当たります。当時の人口は2000人でした。 この発見は、市民戦争の始まる直前,1931年のことでした。戦争が終わるまで再び埋め、終わった後、1943年に本格的な発掘を始めたのです。 そして、発掘は今でも続いています。


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これが当時のバルキーノの町の地図です。


点線でかかれたところが古代ローマの町の地図で、城壁に囲まれた町は、きちんと碁盤の目になっています。
実線でかかれたところは、その上に建てられた後世の建物で、現在残っているものです。

ピンクに塗られたところは、foroといわれ、フォロ・ロマーノという言葉と同じで、神殿のある広場です。ここでいろいろな祭典などが行われ、アウグスト神殿が真ん中にありました。
この前お見せした神殿の柱は、地図で言うと、foroの真ん中の白く残っているところが神殿で、その右下の4本の柱だったのです。

薄茶に塗ったところは、現在、王の広場の地下にあり、バルセロナ市歴史博物館の中から入って見学ができる部分です。

数字がさかさまになっていますが、4がサン・ハイメ広場、バルセロナの市庁舎のある広場です。

ごらんのように、バルセロナはぐるりを市壁で囲まれていました。 
その範囲は、北側がカテドラルの前の通り、東側がライエタナ大通りで、西側と南側は寸断されて、大きな通りはありませんが、残っている部分を見ることができます。市壁は、さらに中世に補強されて、厚い壁になり、その上に建物も建てられています。この市壁は、18世紀までほぼそのままの姿で使われていました。


バルキーノは、アウグストス帝の時代、紀元前15年に創られました。当時の広さはおよそ10ヘクタール。

初めに市壁が作られたのは、紀元270年~320年で、Coelius帝の時代です。
そのときの町の名前は恐ろしく長たらしくて、

"Colonia Iulia Augusta Faventia Paterna Barcino"

と言うものでした。 






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Commented by daikatoti at 2007-10-28 20:38
アウグスト寺院の柱、もう一回じっくり見させていただきました。
古代ローマといえばやっぱり2000年以上前なんですよね、ついでに
バルセロナの位置も地図で確認しました^^;  地中海に面したところなのですね、なるほど古代ローマの遺跡があってもおかしくない場所です。
特に1837年の部屋の中に柱が組み込まれた絵が、驚愕です。法隆寺の塔が部屋の中にあるようなもの^^;というのも変ですか・・・もう、2000年もまえのものが、住宅の中にあって普通に暮らしているなんて、ほんとに何ていっていいかわからないくらい、すごいことですね。
人口2000人ということですが、この城壁の中、縦で、どのくらいの長さなのでしょう。
Commented by alex at 2007-10-28 22:31 x
 わぁ、歴史の勉強ですね!紀元前なんて聞くとワクワクします。それが触れるぐらいの近くにあるなんて!
 バルセロナにも城壁があったのですね。旅行でローテンブルクに行った時本物の城壁を見ましたが、あれは中世のものですよね?ウィーンのリンクは城壁跡ですが、バルセロナも道路になっているのですか?バルセロナはバルキーノから変遷した呼び名かな?あ~、何も知らなくてゴメンナサイ(^^;。
Commented by gyuopera at 2007-10-29 00:42
♪ daikatotiさん、いつもコメントをありがとうございます。
ごめんなさい、アウグスト寺院の柱のブログへのリンク、うまく行っていませんでしたね。やり直しました。
ローマ時代は、アウグストの道、と呼ばれる、太い立派な道がローマからあちこちに向かって建設されましたね。ですから、イベリア半島に来る道もできていて、途中の南フランスには、立派なローマ遺跡が沢山あります。それらを見ると、ここの遺跡は本当にささやかなものです。イベリア半島の中でも立派なのは、タラゴナ、メリダなどです。
ささやかながら、その遺跡が待ちの中心部にあって、地面を掘れば遺跡にぶつかる状態なので、(もちろん、マラガやほかの土地もですが)歩いているとひょこひょこと見ることができて面白いですね。
当初の町の縦の長さは4km無いでしょうね。
Commented by gyuopera at 2007-10-29 00:49
♪ alexさん、こんにちは。 コメントをありがとうございます。
バルセロナのローマ遺跡は、タラゴナやメリダ、また南フランスに点在するローマ遺跡に比べたら、本当にささやかなものですが、それでも街中にあるので、わくわくしてしまいます。
ほかのヨーロッパの中世の様子が良く残っている町は、城壁や市壁があることが多いですね。敵が攻めてくると、門を閉め、中に閉じこもったわけですね。これはその町を守るためにとても役に立ったそうです。
バルセロナは、壁のあとが部分的に残っていて、全部撤去されたわけではありません。18世紀までは使われていて、その壁の上にお城などが建てられているところもあります。東側はほとんど残っていませんね。
バルキーノと言う呼び方は、ラテン語風ですね。スペイン語だと、バルシーノになりますが、それがバルセロナの元になった名前ですね。
Commented by KLE4c at 2007-10-29 12:49 x
地球の歩き方のゴシック地区の地図と見比べてみたら、
このバルキーノの町の外周って、今のCarrer de Banys NousとCarrer del Sots-tinent Navarroとほぼ重なっているように見えます。
建物も残ってるけど、道にもその時代が残ってたなんで・・・。
早速地図に碁盤の目の昔の道も書き込んじゃいました。
Commented by gyuopera at 2007-10-29 15:24
♪ KLE4cサン、おはようございます。
なかなか更新できなくてすみません。このテーマは、以前から撮り貯めた写真とかなりの量の資料をつき合わせながらやるので、とても時間がかかって。
ローマ時代のメインどおりは、ちょうど十文字になっているところです。それは北側の入り口が、カテドラルの横のビスベ通りです。西側の入り口は、サンタ・エウラリア通りで、今門のあとは、同じ道がずれています。
南の入り口は、レゴミール通りにあり、この間見た遺跡の丸い部分が、門の基盤になると思います。
メイン通りの交差点は、今のサン・ハイメ広場の端っこにありました。Banys Nousは後に作られた道で、今は無いのですが、大きな公共浴場があったのです。
Commented by aoi at 2007-10-29 23:57 x
私はエジプト史を勉強しているのですが、不思議なことに大学でも、どこでもギリシャ・ローマ専門の先生方にご縁があります。そんな訳で、エジプトで活躍したローマ皇帝たちの故郷を廻るスペイン散歩を、行くたびに少しづつしております。
とても勉強になります!
今すぐにでもバルセロナに飛びたいです。
Commented by gyuopera at 2007-10-30 06:54
♪ aoiさん、こんばんは。 コメントをありがとうございます。
エジプト史を勉強なさっているんですね。私も中学生のころからすごく興味があって、市立図書館にあったエジプトに関する本をみんな読んだこともありました。まぁ、小さな図書館ですからね。
歴史は勉強していけばいくほど面白いですね。限なくいろいろ調べてみたくなります。私のは勉強まで行かないかもしれませんが、身近にこういう昔のものがあるというのは本当に面白いです。
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by gyuopera | 2007-10-28 16:00 | 古代ローマ遺跡 romanos | Comments(8)

私と一緒にバルセロナを散歩しましょう Vamos a pasear conmigo en Barcelona!


by gyuopera