Refugio 307 (防空壕)


バルセロナはスペイン内戦(1936-1939)で、最後まで革命軍に抵抗していた町ですが、そのときの爆撃に備えて作られた防空壕を見に行きました。モンジュイックの山裾のPoble sec地区にある、「refugio 307」です。

フランコ軍によって,バルセロナに初めに落とされた爆弾は、1938年3月16日22時08分。
爆撃を初めて見た市民たちは、ものめずらしげに見物していたそうですが、やがて無差別の爆撃が激しくなり建物が次々崩壊するに至って、急いで防空壕が掘られ始めました。
多くの市民は、子供たちを列車に乗せてフランスに疎開させましたが、ここにとどまっていた市民たちは、みんな空襲サイレンとともに、防空壕に避難していたのです。

バルセロナ市内では全部で1384個の防空壕があったそうで、この防空壕はその307番。
この地域は工場も多く、人口密度が高かったので、爆撃による大量殺人が可能な地区として、かなり爆撃がひどかったのです。

当時、地下鉄は1号線と3号線の一部しかありませんでした。地下鉄の走っていた空間は、当然防空壕としても使われましたが、新しく掘られた防空壕あとが、後に地下鉄に利用されたところが沢山あります。

このrefugio 307は、1995年に防空壕入り口付近に建っていたガラス工場が取り壊された際、再び日の目を浴び、戦争が二度と起こらないようにと祈りをこめて、修復されたものです。ここが見学できるようになったのは今年になってからのことで、今、バルセロナ市内で見学できる防空壕はおそらくここだけ。

Poble Sec地区は、工場が立ち並び、労働者の多く住む地区だったので、今でもその雰囲気が感じられます。
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そしてここが防空壕の入り口
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入ると、ギャラリーがあって、内戦当時のバルセロナの写真のパネルが貼ってあります。
防空壕の内部に入るときは、全員ヘルメットを着用します。
サイレンが鳴り、みんないそいそと内部に踏み込みました。

内部はひんやりとして寒い。
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入り口部分は狭く、壁は灰色です。ここはガラス工場で使われていたのだそうです。
その先に進むと、天井や壁は、閉塞感を和らげるため白く塗られています。
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ここの防空壕は、長さ400メートル、高さが2m、幅1.6m、2000人が収容できました。
爆撃の音、子供が泣く声などが聞こえてきて、本当に避難体験しているようでした。
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動物は入れない規則でした。動物はこういう狭いところに入ると、ナーバスになってしまうからです。それで犬を飼っていた人は、犬のために家に残っていたそうです。
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沢山の横穴があります。壁にうがった小さな穴は、持ち物を置いておくための棚
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みんな熱心にガイドさんの説明を聞いています。
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照明は新しく設置されたものですが、もともと電気の照明が取り付けられていました。
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防空壕内では、沢山の人が入れるために横になってはいけない規則でした。病人は、特別の「病室」に入れられました。ガイドさんが建っているところがそうです。床に穴が開いて、空気が入るようになっています。ここに3つベッドが入っていたそうです。
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トンネルはまだ続きます。時々横道があります。かなり広い。
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やがて壁が岩になっているところに来ました。モンジュイックの岩盤です。この石で、カテドラルやサンタ・マリア・デル・マール教会、ピノ教会が建てられたのです。
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急に狭くなっている部分に来ました。まだ掘りかけだったのです。
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壁は、掘ったあとが生々しい
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戦争中も、学校はやっていました。子供たちは学校から帰ると、防空壕で掘った土を運び出す手伝いをしました。
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出口付近に、暖炉のようなものがありました。火を使ってはいけない防空壕内にどうして?
これは戦後、アンダルシアから来た家族がここを家として使ったとき作ったのだそうです。彼らはここで、シャンピニオンの栽培を始め、それは大成功し、とうとうシャンピニオン王となったのだそうです・・・

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もうすぐ出口です。
ここは、当時は3つの出入り口と、トンネルもさらにいくつもありましたが、バルセロナがフランコ軍に占領されたとき、反革命軍の首謀者を探すためすべての防空壕を調べて、かなりの部分を埋め立てたそうです。

外は雨でした。
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市民は内戦の忌まわしい思い出を忘れようとしましたが、こうして歴史の一幕として残しておくのはごく最近になってからのことです。戦争を知らない人たちが、戦争の恐ろしさを知るためにはぜひ残していってほしいものです。
今は本当に美しい町になったバルセロナですが、無差別爆撃で多くの建物が破壊され、沢山の方が亡くなられました。市民は町の復興に全力を挙げ、ここまでに至っています。
カタルニァ歴史博物館に行くと、詳しい展示物が見られます。

Refugi 307 c/Nou de la Rambla 169
見学日: 毎週土・日 11時~14時
          予約:  93 256 2122
入場料 3ユーロ
          HP

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Commented by sidoremido at 2007-08-20 17:25
poble sec に防空壕があるなんて知らなかった!友達にも教えてあげよう!!
Commented by imagine-peace at 2007-08-20 17:38 x
貴重な写真をたくさんありがとうございました。思い切り疑似体験させて頂きました。戦争体験については、全ての国のお年寄りの方に、自慢ではなく、「悲惨さ」を全ての自国の若者に伝えて欲しいです。
Commented by alex at 2007-08-20 19:34 x
 こんばんは。
 モンジュイックの丘って、どうして聞き覚えがあるのかなあと以前から思っていたのですが、オリンピックの時にマラソンのコースになったのですよね?たぶん、それで聞いたことがあるのだと思います。
 フランコ将軍と言えば、内戦と独裁政権ということぐらいしか知りません。でも、罪のない市民の皆さんが、戦乱に巻き込まれていったことは確かな事実なんだと改めて感じました。
 松代にある大本営ってご存じですか?太平洋戦争末期に、朝鮮半島の人々を連行してきて造らせたという地下防空壕。私は2度ほど入ったことがありますが、似ているなあと思いました。横道もたくさんあって、迷子になりそうなのですが、立ち入り禁止で柵がしてあるので、暗くて見えない先にも延々と壕が続いているのが恐ろしさを増すのです。
 日本では今、憲法九条を変える時期だと言う政治家も、また一般の人々もたくさんいます。でも、私は戦争につながるおそれのあることは、絶対に意識を尖らせ、同じ道を歩まないようにする事が、戦争で亡くなっていった方々への鎮魂になると共に、今を生きている私たちの義務ではないかと思っています。
Commented by granollers at 2007-08-20 20:45
gyuさん、こんにちは。
私が小さかったころ、うちの近所にも防空壕跡と思われる場所があったのですが、いつ崩れるか分からないので、親に入るのを禁止されていたのですよ。それを思い出しました。
日本の場合、戦争というと、やはり第2次世界大戦ですが、スペイン人にとっては、内戦なんですよね。でも、同じ国民が敵味方にわかれて戦うことによる傷跡は、それはそれは大きなものだと思いませんか。なにか想像をぜっするものがあります。しかも、今現在でも戦争をしている国があると思うと……悲しいですね。
Commented by gyuopera at 2007-08-20 21:30
♪ sidoredoさん、こんにちは。お元気ですか?
この防空壕が一般公開されるようになったのは、この3月だと思います。それまで工事していたのでしょう。ずっと行きたかったのですが、雨が降って寒い先週の土曜日、きっとこんな日は予約がなくてもOKかな、と思って行ってみましたら、案の定OKでした。いらっしゃるなら、11時に始まるときにいらしたほうが良いですよ。私たちが終わったとき、入り口で待っている人たちが沢山いました。Poble Secからまっすぐ山に向かってNou de Ramblaをあがっていった左手、病院の隣です。一度見るのもいい体験です。
Commented by gyuopera at 2007-08-20 21:36
♪  imagine-peace さん、こんにちは。
いつもコメントをありがとうございます。戦争体験をしていない私たちは、その悲惨さ、恐ろしさが身にしみてわからないのですが、こうしてその痕をみると、かなり身近に感じられます。スペインは第二次世界大戦に参加しませんでしたが、内戦が終わった年ですから、参加どころではなかったのでしょう。フランコの専制政治は厳しいものでしたが、そのおかげでスペインが守られた部分もあるのです。
いずれにせよ、戦争は恐ろしいものです。避けなくてはいけませんね。
Commented by gyuopera at 2007-08-20 21:44
♪ alexさん、こんにちは。
松代にある大本営って、聞いたことはありますが、そんなに大規模なものだとは知りませんでした。それを朝鮮半島の人々を連行してきて造らせたというのがいやですね。
実はこの大本営、天皇陛下を避難させるためと聞きました。ここが、日本で一番安全なところと考えられていたらしいんです。ところが、その後、松代地震ですっかり有名になってしまいましたね。中央大地溝帯にすっぽり入っているのですから仕方がないかもしれませんね。そこは実際に防空壕として使われていたのでしょうか?
イラク戦争のおかげで、豊かといわれている合衆国の国民さえも、大変に苦しい思いをしていると聞きます。日本政府の何でもアメリカに倣えはやめてほしいですね。
Commented by gyuopera at 2007-08-20 21:50
♪ granollersさん、こんにちは。
同じ国民同士での戦いなんて、本当に悲惨ですね。スペイン内戦が終わった年に第二次世界大戦が始まったのですから、スペインはとても参加できるような状態ではなかったのはもちろんですが、フランコが頑として参加しなかったというのは、ある意味でスペインを守ったことにもなったわけですね。専制政治は厳しかったけれど、その時代があったから今のスペインがあるのかな、と思ったり。それにしても、ETAなんて何やってんのよー、って言いたくなりますね。
Commented by alex at 2007-08-21 08:22 x
 おはようございます。
 大本営は、gyuさんの言われるとおり天皇陛下と軍司令部を持ってくるために計画されたそうですよね。でも、全部完成するまえに終戦になったので、防空壕としては使われなかったのではないでしょうか。
 今、その一部は気象庁の精密地震観測所になっています。
 
Commented by peque-es at 2007-08-21 14:08
日本の防空壕と全然イメージが違う、規模が巨大ですね。ローマ帝国の圧迫を逃れて地下にカタコンベを作った初期キリスト教徒を連想してしまいました。
防空壕の跡を利用して後に地下鉄が作られたというのも、とても興味深いです。シャンピニオン王の話も…
スペイン人、逞しいですよね。イザという時の底力がある!
Commented by gyuopera at 2007-08-21 14:25
♪ alexさん、おはようございます。
松代の防空壕、見てみたいですね。そういう目的であれば、一般市民が使っていた防空壕よりもかなり立派に作られていたことでしょうね。
それにしても戦争時のこうした面影は、忌まわしいと同時に、後世にもその恐ろしさをわかってもらうように残すのは大切ですね。
Commented by gyuopera at 2007-08-21 20:18
♪ pequeさん、コメントいくつもありがとうございます。
日本の防空壕、見たことないんですが、昔小さかったころ、あっちこっちに洞窟みたいな穴があって、大体立ち入り禁止になっていたような気がします。多分今は全部壊されているでしょうね。バルセロナの防空壕、これだけ立派なら、何かに利用しようと思うのも無理ないですよね。
イギリス人はこの防空壕を見てまねをしようとしたそうですが、お金がかかるといって、結局やらなかったそうで、バルセロナよりもっと爆撃による死者が出たそうです。カタコンベ、見てみたいなぁ!どこにあるのかしら。
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by gyuopera | 2007-08-19 03:58 | バルセロナ案内 Barcelona | Comments(12)

私と一緒にバルセロナを散歩しましょう Vamos a pasear conmigo en Barcelona!


by gyuopera