バルセロナの旧ユダヤ人街Call


ガイド付きで夜のバルセロナツアーに2度参加したわけですが、今回は昼間、バルセロナの旧ユダヤ人街を訪問しました。

ユダヤ人がキリストを殺した、ということで、ユダヤ新は永遠の罪をきせられ、紀元3世紀ころから迫害されて来ました。 彼らはバルセロナがl古代ローマ時代、まだバルシーノと呼ばれるころから住んでいたらしいのですが、実際はっきりとその存在が明らかになるのは10世紀、モンジュイックにある共同墓地の中に、旧ユダヤ人墓地というのが見つかってからです。

14世紀のバルセロナの人口は3万人で、ユダヤ人はなんと4000人もいたのですが、ユダヤコミュニティは当時2つあって、シナゴグは4つもあったのです。歩いてみると、さして広くは無い地区なのですが、昼間でも暗く狭い通りが多く、また15世紀以降はかなり建て増しや修復増築などをしているので、かなり想像力を働かさねばなりません。

現在唯一発掘された大シナゴグは、この細い通りの先にあります。
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反対側から見ると、道の終わりに飛び出た建物がありますが、その半地下にあるのです。
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通りは両側の家が覆いかぶさるように建っていて
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その辺の家の窓はしっかり閉じられひっそりとしています。
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ここがユダヤ人街であったのは14世紀まで
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なぜなら、1391年の襲撃で、ユダヤのコミュニティの人たちは全員殺されてしまったから。
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これはCallで一番古い家。「魂の家」とも、「魔女の家」とも呼ばれています。
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でも、そこに住んでいたのはある賢者。
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あるとき、キリスト教の若者が、ユダヤの女性に恋をした
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でも、異教徒とは結婚できない
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思い余って心中することにし、男はその賢者に相談した
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賢者はバラの香りのする毒を若者に与えた。その毒は、それをかいでからしばらくたってから死ぬという毒
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若者はその毒をバラの花にふりかけ、女性にプレゼント。女性は喜んで花束を持って帰った・・・
そして、賢者が家に帰ると、そこに死んでいる娘を発見した・・・・

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ここはこの間の夜のゴシック探索でも来たところ。旧ユダヤ地区が手狭になったので、13世紀半ばに、ここにあった境の壁を取り壊して広げたところ。だから同じ通りなのに、ここまでと、ここから先は名前が違う。

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この向こうに、ミクベが発見された。
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ここには別のシナゴグがあったと推定されているところ


突き当たりはBanys Nous通り
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そこにはかつて大きなお風呂屋さんがあったところ
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そのお風呂屋さんは取り壊され、今残るのは美しい壁の18世紀の建物
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このアーチをくぐった先には
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Ferran通りに面するサン・ジャウマ教会
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実はここ、以前はトリニダ修道院だったところを売り渡したのだけれど
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その修道院は、キリスト教に改宗したユダヤ人が、ここにあったシナゴグを壊して建てたもの。

サン・ジャウマ教会を建てたおかげで、この道は行き止まりになってしまった
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この教会の向こう側にも、名前が違う通りがやはり教会の壁で行き止まりになっています。

このすごい跡は、昔、ここにアーチがあって、ユダヤ人が緊急の時、道の向かいにあった城に逃げ込むための橋でした。
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14世紀、バルセロナの人口の半分が死んだペストの大流行は、ミクベで体を清める習慣のあったユダヤ人の死亡が少なかったことから、市民はユダヤ人が井戸に毒を入れたと嫌疑をかけたのです。それで1391年、市民はユダヤ人街を襲った。ユダヤ人はこの橋を渡って城に逃げ込んだ、その翌日、襲った筆頭者3人が処刑される。そのさらに翌日、市民は城に押し入り、中にこもっていた人々を全員殺害した・・・

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カトリック両王が、ユダヤ人を追放した1492年より100年も前に、バルセロナのユダヤ人街は消滅したのです。

ユダヤ人がいなくなったので、彼らの住居を売りに出したのですが、真っ先に一番立派で大きな建物を買ったのはバルセロナ州政府でした。
それがいま、州政府の建物の一部になっているのです。
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その入り口の一つに残る人の姿
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昔のユダヤ人の衣装を着けています。
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この州政府の建物の中のオレンジのパティオの下には、ちゃんとユダヤ人の住居跡があったのですが、政府は遺跡を掘って写真に収めると、また埋めてしまったのです。

カテドラルの横は、昔墓地でした。バルセロナの人口が増えて、墓地は城壁の外に移すことになり、そこに王宮が建てられたのですが、
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そこにあった墓石まで利用したので、今でもはっきり名前が刻まれた石が見えます。
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そのかつての王宮は、今修復がほぼ完成するところ
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一般公開も間近いでしょう。

ユダヤ人街とゴシック街の話は、とてもここで書きつくせるものではありません。興味のある方がいらしたら、ご案内しますよ。

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Commented by jamartetrusco at 2006-11-08 20:27
画像とともにユダヤ人街の歴史とその壮絶な終焉を知りました。ユダヤの人々の不幸は根深いところありますね。下のアールヌーボーの建物にしてもゴシック街散歩の記事も本当にバルセロナの隅々がわかり素晴らしいです。建築の面白さが一杯の街ですね。このお風呂跡の建物のファサードも美しいですし、様々な表情の石壁、重苦しい歴史をずっしり背負っているようです。
Commented by hanaitoh at 2006-11-08 21:56
ユダヤ人とバルセロナの間には、こんな歴史があったのですか。
建物の中に、その痕跡が残っているというところは、壮大な歴史を
秘めた、ヨーロッパ大陸ならではですね。

とても複雑な歴史を、写真を交えて分かりやすくまとめてくださって、
ありがとうございました。


Commented by gyuopera at 2006-11-09 01:23
jamartetruscoさん、歴史って、知れば知るほど面白いですね。町を歩いていても、歴史を知っていると知らないとでは興味の持ち方がぜんぜん違います。今までは、これは何の跡だろう、とか、何に使われたのかしら、と???麦価利だったんですけれど、今回のガイドの説明でかなりわかりました。これからも機会があるごとに参加したいです。
Commented by gyuopera at 2006-11-09 01:28
hanaitohさん、ここに書いてあるのは一部だけです。とても細かいことまで書ききれませんでしたし、書いても一般にあまり面白くないかと思うことは全部割愛してしまいました。それでも結構長くなりました。
石の建物は、何百年も残っていて、そのまま庶民の生活の場となっています。歴史のしみこんだ旧市街、歩くと古の人たちの息遣いまで感じられるようです。
Commented by もも at 2006-11-09 07:11 x
gyuさん、おはよう♪日本全国、世界史の必修科目未履修が問題に
なっています。日本の歴史もあまり知らず世界は教科書程度しか
知識がありません。深く知ってもすぐ忘れるけど、こうしてgyuさんの
目で見て聞いてそして写真を~分かりやすいです。私の頭でも
理解出来ます。ありがとう。

「石は歴史を知っている!」と私は思います。
Commented by gyuopera at 2006-11-09 16:21
ももさん、おはようございます。
人間って、読むだけではなくて、視覚に訴えると、かなり記憶に残るらしいです。古い歴史は写真が無いわけですが、今残っている歴史を物語るものの映像を見ながら学習すれば、かなり覚えやすいのではないでしょうか。
ミュージアムには、大体どこでもそういうビデオがあるので、それを教材用として販売したら良いでしょうね。
Commented by chel at 2006-11-10 14:26 x
ユダヤ人迫害は痕跡を残し忘れてはいけない日々になっているのですね。わたしは無宗教者であるからこそ、いろいろな思いがあります。
Commented by gyuopera at 2006-11-10 15:36
chelさん、今はユダヤ人は世界中普通に暮らしている(と思いますが)本用に長い間ひどい迫害を受けてきた物ですね。
今ではユダヤ独特の服を着ている人も良く見かけます。この「魂の家」は、市が買い上げて、今度ユダヤ人とスペイン人の橋の役目をするようなセンターになる予定で、工事が始まりました。
Commented by afotofoto at 2006-11-11 10:18
読み応え、見応えたっぷりの記事でした。
ゴシック地区には、こんな歴史があったのですね。バルセロナ、セビージャ共
学校で仲良くなった外国人は、イスラエルの人でした。
なので、スペインの街のあちこちに残ってる旧ユダヤ人街、シナゴグ・・・
それまでとは、また違う目で見ることが出来ました。
各々またこんな風に歴史があるのでしょうね。とても勉強になりました。
Commented by fujibijin at 2006-11-11 10:59 x
かつて、大航海時代の覇者、世界一のスペイン王国でしたもの、歴史は古く、イスラムとの関係、ローマ時代以前には、カルタゴの武将ハンニバルもカディスで生まれたのではなかったでしょうか?ヨーロッパの歴史は血で血を洗うような凄惨な歴史でもありましたね。
1492年コロンブスの新大陸発見の年に、ユダヤはスペインを追われていますが、それ以前にペストが原因の大虐殺があったのですね。
イタリアのベネチアに、最初のユダヤ人のゲットーができたと本で読みましたが、スペインのシナゴグも大掛かりなものなのですね。一度行って見たいと思います。2000年位の歴史が、肌で感じられそうです。
Commented by gyuopera at 2006-11-11 17:08
afotoさん、今でこそイスラエルの人たちはこんなカトリックのくにでさえ普通に暮らせるようになったのですが、その迫害は長かったですね。キリストがメシアと認められて、本流になってからずっとですものね。
でも実際に殺したのはローマ兵であって、ユダヤ人は死刑の判決を下された罪人を殺すことは許されていなくて、ローマ塀に引き渡して執行してもらったのです。だから、いわれのない罪なんですよね・・・
Commented by gyuopera at 2006-11-11 17:08

fujibijin さん、1492年、異教徒の追放で、スペインは貴重な物をたくさん失いました。その一つは、追放されたユダヤ人たちの技術。多くのユダヤ人はイタリアに渡り、そのうちの一人は後に世界初のヴァイオリンを製作。ヴァイオリンに塗るニスの製造秘密はユダヤ人が持っていたのです。追放されたユダヤ人の子孫の一人に、有名なヴィヴァルディもいるのですよ。
Commented by chel at 2006-11-13 15:53 x
そうですか。平和の象徴はいつでも嬉しいことです。
そう、わたしが昔から行きたい国はイスラエルです。
昔からなぜか惹かれるのです。
Commented by gyuopera at 2006-11-13 17:35
chelさん、イスラエルは貴重な文化遺跡が本当にたくさんあって、行けたらすばらしいだろうなと思います。今は政情不安で無理かもしれませんね。
いつか行ける日を待ちましょう。
ダヴィンチ・コードのおかげで、今キリスト教自体が揺れています。スペインの教会では「読まないように」なんて言ってます。
Commented by chel at 2006-11-15 09:13 x
本当に宗教の壁を越えて欲しいです。宗派にかかわらず、人として認め合える関係に全世界がなれるよう、祈ります。
Commented by gyu at 2006-11-15 15:54 x
chelさん、宗教の壁って、本当に厚いものですね。そのため戦争が起こるのですから・・・ 最近はそうでもないかもしれないけれど、無宗教、と答えると、異様な顔をされることが良くありました。 無神論者というのは信仰している人にとっては怖い存在なんですね。そういう人には、「神道」と答えることにしています。つまり、祖先を拝む、と言うことですね。
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by gyuopera | 2006-11-08 03:55 | バルセロナ案内 Barcelona | Comments(16)

私と一緒にバルセロナを散歩しましょう Vamos a pasear conmigo en Barcelona!


by gyuopera