2010年 02月 16日
ユダヤ人街と聖エウラリアの拷問された坂 Barrio judio |
市庁舎やジェネラリタ(州政府)のあるサン・ジャウマ広場から、ジェネラリタの横の細い道をはいると、そこは旧ユダヤ街。
細い小路に両側の建物が覆いかぶさるように建っています
今も人が住んでいると思いますが、いつもひっそり
この家がバルセロナで一番古いとされていますが
一軒売りに出てる!
この建物の半地下には、シナゴグがあるんです。角にある、ちょっと飛びだしたところ
こちらには別のシナゴグがあったといわれている
いずれにしても、1391年の襲撃で、ユダヤ人たちはほとんど殺されるか、国外に逃げてしまったのですから、ほとんど跡は残っていないのです
ユダヤ人街が手狭になって、ここにあった市壁の門が取り払われたところに、聖エウラリアが祭られています。
13歳で殉教したエウラリアは、樽詰めにされ、剣を刺されてこの坂を転がされた
通りには彼女の名前が付けられ
今でもいつも花がささげられている
この通りは普段はいつもひっそり
なんとなく悲しみが漂っているように思うのは私だけでしょうか
バルセロナの旧ユダヤ人街の話はこちらをご覧ください
↓クリックしていただけると励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。
細い小路に両側の建物が覆いかぶさるように建っています
今も人が住んでいると思いますが、いつもひっそり
この家がバルセロナで一番古いとされていますが
一軒売りに出てる!
この建物の半地下には、シナゴグがあるんです。角にある、ちょっと飛びだしたところ
こちらには別のシナゴグがあったといわれている
いずれにしても、1391年の襲撃で、ユダヤ人たちはほとんど殺されるか、国外に逃げてしまったのですから、ほとんど跡は残っていないのです
ユダヤ人街が手狭になって、ここにあった市壁の門が取り払われたところに、聖エウラリアが祭られています。
13歳で殉教したエウラリアは、樽詰めにされ、剣を刺されてこの坂を転がされた
通りには彼女の名前が付けられ
今でもいつも花がささげられている
この通りは普段はいつもひっそり
なんとなく悲しみが漂っているように思うのは私だけでしょうか
バルセロナの旧ユダヤ人街の話はこちらをご覧ください
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by gyuopera
| 2010-02-16 19:16
| バルセロナ案内 Barcelona
|
Comments(6)
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alex
at 2010-02-16 19:36
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こんばんは。またこのお祭りの時期なんですね。
私はすぐ忘れてしまうので、gyuさんがこうしてその折々に話してくださるのでとても嬉しいです。
エウラリアが樽詰めにされて転がされた坂というのは、見ていて胸がつまります。13歳の少女が、残酷な責め苦にあって殉教したというのはとてもつらいです。
一番古い家の1軒が売りに出ているのですね!? 住むのはなんとなく躊躇しますが、中をのぞいてみたい気はします。
私はすぐ忘れてしまうので、gyuさんがこうしてその折々に話してくださるのでとても嬉しいです。
エウラリアが樽詰めにされて転がされた坂というのは、見ていて胸がつまります。13歳の少女が、残酷な責め苦にあって殉教したというのはとてもつらいです。
一番古い家の1軒が売りに出ているのですね!? 住むのはなんとなく躊躇しますが、中をのぞいてみたい気はします。
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gyuopera at 2010-02-16 20:36
♪ alexさん、こんにちは。
聖エウラリアのお祭りは、毎年2月の半ばで、寒い冬の時期お祭りとしてみんな待ちわびています。町は賑やかな太鼓の音が響きわたり、ヒガンテ人形が町を練り歩いて、夜は火祭り、ととても楽しいのですが、殉教したエウラリアのことを考えると涙が出てしまいますね。
ユダヤ人がいなくなってから、この地区の建物は全部売りに出されたのですが、いったい誰が住んでいたのでしょうね。昔は怖くて踏み込んだこともなかったのですが、今は観光客がぞろぞろ。
建物の中はどんなになっているか見たいですね。
聖エウラリアのお祭りは、毎年2月の半ばで、寒い冬の時期お祭りとしてみんな待ちわびています。町は賑やかな太鼓の音が響きわたり、ヒガンテ人形が町を練り歩いて、夜は火祭り、ととても楽しいのですが、殉教したエウラリアのことを考えると涙が出てしまいますね。
ユダヤ人がいなくなってから、この地区の建物は全部売りに出されたのですが、いったい誰が住んでいたのでしょうね。昔は怖くて踏み込んだこともなかったのですが、今は観光客がぞろぞろ。
建物の中はどんなになっているか見たいですね。
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bao
at 2010-02-16 21:20
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通り道にある過去を知ると、違った趣きで歩くことができそうですが、半地下にシナゴグがあり、たる詰めにされて突き刺され、、なんともやるせない悲しい気持ちになりますね。
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gyu
at 2010-02-17 01:59
x
♪ baoさん、こんばんは。
この半地下のシナゴグが見つかったのは、割と近年になってからです。
前の持ち主は、ここをバールにつくりかえようとしていたのですが、一番下はローマの遺跡ですし、そのあと中世から近代まで、染物屋さんが使っていました。それで誰もそれがシナゴグと気付かなかったのですが、ある文書の中に、場所が記されていて、それがやっとシナゴグと分かったのです。シナゴグで祈りをさ下げる前体を清めるところがあって、それは女性用がカフェCaelumの地下になり、男性用はある家具屋の奥にその名残が残っているのです。
このあたり、建物の中に昔の別の建物が入っていたりして本当に複雑です。まだ知られていないことが山ほど隠れているはずなんですよ。
面白いです。
聖エウラリアの話は悲しいですけれどね。
この半地下のシナゴグが見つかったのは、割と近年になってからです。
前の持ち主は、ここをバールにつくりかえようとしていたのですが、一番下はローマの遺跡ですし、そのあと中世から近代まで、染物屋さんが使っていました。それで誰もそれがシナゴグと気付かなかったのですが、ある文書の中に、場所が記されていて、それがやっとシナゴグと分かったのです。シナゴグで祈りをさ下げる前体を清めるところがあって、それは女性用がカフェCaelumの地下になり、男性用はある家具屋の奥にその名残が残っているのです。
このあたり、建物の中に昔の別の建物が入っていたりして本当に複雑です。まだ知られていないことが山ほど隠れているはずなんですよ。
面白いです。
聖エウラリアの話は悲しいですけれどね。
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おぴ
at 2010-02-17 08:05
x
日本人は儚さや、消え去った文化、消え行くモノに惹かれると言われます。
私もまさにその一人。
崩れた城跡、廃墟となった町などに、現在の荒涼と昔の栄華を想い、
胸が熱くなります。
ここで一曲。「荒城の月」。。ふふ
私もまさにその一人。
崩れた城跡、廃墟となった町などに、現在の荒涼と昔の栄華を想い、
胸が熱くなります。
ここで一曲。「荒城の月」。。ふふ
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gyuopera at 2010-02-17 18:18
♪ おびさん、おはようございます。
日本人は、明治維新から、欧米諸国に追いつこうと、欧米のものを取り入れ、戦後は古いものをどんどん壊して新しくしてきましたね。それで日本の古来からあったものは、かなりの部分、姿を消してしまったのは本当に残念としか言いようがありません。それだから一層ノスタルジーを感じるのでしょうか?
私の90歳の母は、骨董は別としても、あまり古いものを好まないのですよ。面白いものですが、古いもの=汚い という風に思う世代なのかもしれません。
日本人は、明治維新から、欧米諸国に追いつこうと、欧米のものを取り入れ、戦後は古いものをどんどん壊して新しくしてきましたね。それで日本の古来からあったものは、かなりの部分、姿を消してしまったのは本当に残念としか言いようがありません。それだから一層ノスタルジーを感じるのでしょうか?
私の90歳の母は、骨董は別としても、あまり古いものを好まないのですよ。面白いものですが、古いもの=汚い という風に思う世代なのかもしれません。